2.桜川町/駅前 12月21日 PM9:30
旅行から戻って2日。
すっかりいつもの日常。
日直シフトだった七海は、つい先ほど勤務を終えて退勤してきたばかりだ。
比較的料理の得意な相方が残念ながら当直勤務なので、今日の夕飯は駅前で食べて帰ることにした。
(パスタにしようかな。中華もいいな。それとも、久々に一人飲みも有りかな )
このところ空いた日と言えば大抵の時間を遠藤と行動を共にしていたため、一人飲みなどの機会はほとんど無い。
しかし、ほんの少し前はよく出ていたのだ。
究極の出不精であっても、食事はしなければならない。
しかし、七海は一切自炊しない。
と言うことは、自動的に外食。
であれば、アルコールもお供に付けよう、となった訳である。
行きつけの店は二軒。
一軒はオーセントリックなバー。
こちらは元々恭介に連れられて、行くようになった。
もう一軒は小さな割烹。一品の値段がお手頃で美味しい。
研修医時代に偶然見つけ、ふらりと入って以来ずっと通っている。
この店には病院のスタッフを連れて行ったことはない。
遠藤にすら教えていない、七海の隠れ家である。
そこへ向かう道すがら、駅のロータリーにさしかかった。
ショッピングモールのイルミネーションと、タクシーの行列。
ロータリーにぐるりと設置されたバス停から発車するバスは、それぞれの町へ仕事上がりの勤め人を運んでゆく。
(改めて見ると、桜川も賑やかになったよな)
4〜5年前まではショッピングモールなどは無く、スーパーが一軒あるところに専門店が申し訳程度入っていただけ。
駅前の道もロータリーにはなっておらず、タクシーなど呼ばなければ来ないような都会の僻地だった。
(まあ、閑静な住宅街 とも言うけど)
線路を挟んで反対側は、昔からそれなりの高級住宅街。
それが却ってこの辺りの再開発を阻んでいた。
俗に言う高級住宅街 第一種低層住居専用地域は、規定によって商業施設や高層マンションは建てられないのである。
そのため、駅の南側には、旧くから手付かずの景色がそのまま残っている。
しかし全てが第一種低層住居専用地域と言う訳ではなく、また近年、相続を契機に土地を手放す地主が増えたなどの事情もあり、それらが分譲マンションや商業ビルに立ち替わるなどした為、一気に開発が加速した。
駅の南側、一部地域は純然たる高級住宅街の趣を守っているものの、その周囲を取り囲む様に旧い住宅街と近代化された商業地域がモザイク状に配置されており、 それが現在の桜川町の不思議な景観を作り出している。
(それにしても )
もうすぐ夜の9時だと言うのに、学生服姿の子供がやたら多い。
塾や予備校の帰りなのだろうか。
学校が終わった後、更にこんな時間まで外で勉強しなければならないとは、全く学生と言うのも楽な仕事ではないな、と七海は溜息を吐いた。
「これでまだ早い時間なんだよな」
家でならともかく、塾の終わりが10時を過ぎるのも珍しくないとは、現代の教育事情は狂気の沙汰だ。
「あれ?」
ふと、学生服の群の中に見知った顔を見つけた。
古賀雄介。
七海が彼に気付いたのとほぼ同じタイミングで、彼も七海に気付いたらしい。
「先生!」
手を振りながら、雄介は七海に駆け寄ってきた。
「何してんの?」
濃いグレーの学ランは少々クラシカルなデザインで、それはあまり雄介の印象とは一致しなかった。
「何してるの、はこっちの台詞だ。こんな遅い時間まで」
七海は呆れ口調で溜息を吐いた。
「しょうがないじゃん、予備校あるんだから」
雄介は、肩に提げていた予備校の名前の入った鞄を七海に示した。
「…やれやれ、だな」
本人もだが、退院早々こんな時間まで予備校通いさせるとは、まず親の方からカウンセリング受けた方が良いのではないだろうか。
「そんで、先生は何してんの?」
「え? ああ、何って、何もないよ。ただの仕事帰り」
「あ、そうなんだ。ふーん」
七海の答えに、雄介が落ち着きなさげに爪先をパタパタと動かした。
「何?」
本来なら、ここは聞き返さない方が良かった。しかし、もう七海は聞き返してしまっていた。
「あのさ、相談…してぇんだけど、いい?」
「相談?」
「相談…つか、話?」
「僕? 綿貫先生じゃ駄目な話?」
「だから、カウンセリングとか、そんな深刻なのじゃなくて、その…雑談…的な?」
「ああ…」
その時打った相槌は、雑談なら聞いてあげよう、という意味ではなく、彼が雑談という言葉を使った事に対してだった。
彼は、カウンセリングと言うものを重苦しく感じているのだ、と気付いたのだ。
(なるほどね…)
入院前に通っていた所でどのようなカウンセリングが行われていたのかは不明だが、少なくとも適切ではなかった印象を受ける。
それが起因なのかは分からないが、心の内側を開く作業であるカウンセリングそのものに抵抗があったのだろう。
元々、カウンセリングとは患者にとって一番触れられたくないところを詳らかにする作業だ。
患者とカウンセラーの間にある程度以上の信頼関係が構築されないことには成立しない。
(その割に、精神科はこれといった機材無しで開業できるから俄カウンセラーが意外と多いんだよな…)
話は聞いてほしい。
しかし、自分の中の闇を暴かれるのは怖い。
七海が彼に対して、心は専門外だと言い切った事で、却って彼を引き寄せてしまったらしい。
(かと言って、僕の手に負えるものでもないんだけど )
だからと言ってここで放り出すのも躊躇われた。
そう、頼られると突き放せない。
本人は全くの無自覚だが、遠藤要が断言した通り七海は非常に押され弱いところがあるのだ。
結果として、七海は雄介の雑談とやらに付き合う以外の選択肢を失ってしまったのだ。
「ま、立ち話じゃアレだし、そこのファミレスでも行く?」
心中で溜息を吐きつつ、七海は目と鼻の先のファミリーレストランを親指で指し示した。
「やたっ!」
飛び上がらんばかりの喜びように良かったと思う反面、拙かったのではないかと言う気持ちが、七海の脳裏を同時に過ぎった。
*
その日、早番を終えたMEの崎谷がERを出たのは午後7時を少し回った頃だった。
当直勤務の医局長・小田切と、麻酔科医の小沢としばらく雑談を交わし、救急からホットラインが入ったところで引き上げてきた。
MEは手術中に生命維持を行う機器を操作する役割があるため、術中の全身管理を行う麻酔科医の小沢とは自然に会話が多くなった。
小沢医師の場合、自身もかつてはMEだった経験もあるからかもしれないが、お互いの職務分担の枠を超えて非常に熱心に色々教えてくれる。
社会人再受験、中途採用、マイナス要素の多い身上で、入職前には多大に不安があったものの、今思い返せば杞憂であり、本当に良い職場に恵まれたと思っている。
(たまに24時間勤務とかになっちゃうのは玉に瑕だけど)
それでも、地下のMEセンターでひたすらメンテナンスに明け暮れるよりは、臨床に立てる今はとても充実している。
(いや、メンテナンスはとても大事なんだけど!
でも
やっぱり
それだけじゃなくて
現場に立ちたい )
右手で拳を作り、崎谷はそこに力を込めた。
空には、膨らみ始めた三日月。
さて、今日は桜川病院に就職が決まるまで勤めていたバイト先の友人たちと久々の飲み会だ。
桜川駅前で待ち合わせをし、すぐ近くのチェーン店の大衆居酒屋で男ばかり5人での会となった。
さすがはチェーン店、お時間通りにきっちり2時間で店を追い出され、しかしながらカラオケは1時間待ちという中途半端な余り時間を抱えた面々は、カラオケボックスのすぐ近くのファミレスで時間潰しにお茶を飲んでいる。
「こんな時間にファミレスとか居るとさ、うっかり生徒と鉢合わせしたりして、面倒だよな」
友人の一人が苦笑いしながら言った。
「それ言ったらカラオケも同じだろ」
別の一人が笑い声混じりに付け足すと、更に他の一人が、
「それよりもさ、居酒屋とか入っちゃいけないとこで見つけちゃったときの方が面倒じゃん。一応注意とかしなきゃいけないし」
と、続けた。
「あ、それ一番ダメなパティ〜ン」
一番のお調子者がジェスチャーも加えておどけて見せたところで、全員同意の大爆笑となった。
そんな崎谷の旧バイト先は予備校である。
つまりこれは、予備校講師の集まりであった。
「とか言ってたら…ありー?
アレ、うちの生徒じゃね?」
急にトーンダウンした声で、一人が窓際の席を指した。
「えー?」
全員が一つの席に視線を送る。
「あ、ホントだ」
「誰、誰? 俺見たことねー」
「栖宮駅校から移動してきた子でしょ?」
「今日からだわ。俺、英語担当した」
全員が何となく微妙な空気でだんまりになった。
今の崎谷には予備校のことは分からないが、仲間達の妙な雰囲気に釣られ、ついそちらに目線を送ってしまった。
「え?」
そこにいるのは、知らない人物 のはずだった。
「あー、崎谷は当然知らないよな。
ちょっと問題行動があって教室移動してきた生徒がいてさ 」
そう言って友人の一人が指し示した先にいるのは、古賀雄介だった。
ちょうど席を立つところのようだ。
(あれ…?)
彼の前を、伝票を持ってレジに向かう人物 崎谷は他の面々と異なり、その人物の方に、より面識が深かった。
(何で、常磐木先生と??)
どう考えても奇妙な組み合わせに、崎谷は首を捻る。
そもそも、病院関係者はあまりプライベートに患者や患者家族と関わりを持たない 或いは持たないように心掛けている。
24時間医療相談ダイヤルにならないための自衛というのが、主な理由である。
(珍しいな…本当に隙を見せない人なのにな )
過去に何か嫌な思いでもあるのか、中でも常磐木は特にそうだ。
彼は患者だけではなく、スタッフとも少し多めに距離を取っている ように、崎谷には感じられた。
「悪い、悪い。崎谷が分かんねー話になっちまう。止めようぜ」
一人が崎谷に気を遣い、話の流れを切ろうとした。
その声に、崎谷は我に返った。
友人たちの話題は患者 彼らにとっては生徒である古賀の事だ。
「いやいや、僕のことは気にしないで! どうぞ、続けて?」
寧ろ続けてください、と心中で祈願。
家族が情報提供に非協力的であることも手伝って彼は患者として色々謎。
結果、サマリーも空白だらけ。
その為か、カウンセリングも難航気味。
そんな彼の情報がタナボタ的に落ちてきそうなこの状況 逃す手はないのである。
「ええ〜? つまんなくね?? 知らない生徒の話とか!」
「つまんなくないよ、大丈夫。で、どういう子?」
とりあえず患者として搬送されてきたことは伏せつつ、先を促す。
「いや、俺らも他校の話だから詳しくは知らないんだけど 」
「ちょっとした暴力騒ぎ? 的な??」
「細かい事はうやむやなんだよな」
「俺、全然知らねー」
どうやら予備校内部でも情報は錯綜しているらしいことが友人たちの様子から窺える。
「あ、俺知ってる。教室長が話してるの聞いちった」
その時、一人がまるで学級会のように手を挙げた。
そして、彼の口から語られた事情とは、崎谷の想像よりもややハードなものだった。
before / To be next time.
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