
scene.8
「え!? それじゃあ、昨日訪ねてきたのは 」
応接室に通され、現れた忍のクラスの担任を前に、二人の声は大きくなった。
「ええ。彼の家 即ち、そちらの顧問弁護士の方でしたよ」
不思議そうな顔で、彼はそう言った。
彼自身は忍に応接室へ行くように伝えただけ。
その後も教頭の口から忍の早退を伝言されただけで、事情は一切分からないらしい。
「やられた…」
志月は膝の上で固く拳を握りしめた。
「どういう事なんだ?」
宏幸が首を捻る。
「母だ…。完全に先手を打たれた」
弁護士を差し向けたのが自分の母親だということは、容易に推理出来た。
(俺の説得が無理と踏んで、忍の方を説得した訳だ)
一方が困難であれば、もう一方を攻略 少し考えれば分かりそうな事だ。
どんな交渉術で説得したのかは分からない。
ただ、忍は帰ってこなかった。
つまり、母親の目論見は成功したのだ。
「あの 」
その時、担任の声が思考を遮った。
「あ、何でしょうか?」
志月は一旦思考を切って顔を上げた。
「今日、彼が欠席している事と何か関係が?」
担任が、おもむろな様子で質問を挟んだ。
「いえ、こちらの連絡の行き違いで 擦れ違ってしまったんです。それで、もしかして登校しているのではないかと思いまして」
志月は、どうとでも取れそうな言葉を慎重に選んだ。
「ああ、なるほど。お家の用事と言ってましたからね。行き違ってしまったのですか。それは大変です」
担任は、そう応えながら、自分の言葉に頷いた。
「まあ、そんな処です」
志月は当たり障り無く相槌を打った。
「 今朝、彼から欠席の連絡を貰いましたが、その時、最初に掛けてきたのは彼ではありませんでした。私に繋がると、すぐに換って本人が出てきたのですが」
一度ここで担任は息を継いだ。
「最初に電話を受けたのは事務の者で、私は一瞬しか相手の声を聞いておりませんが、多分、あれはうちのクラスの不動昌弘だったのではないかと思います。事実、彼も今日欠席しておりますし、一緒にいるのでは?」
担任の言葉が、志月の予想に裏付けした。
不動昌弘
口の悪い転校生。
(そいつが、忍と行動を共にしている)
ようやく、彼の足跡を見付けた。
膝に置いた手に、自然と力が入る。
「反対にお尋ね致しますが 私はお家の用事と伺っておりましたが、不動君も一緒に?」
慎重な様子で、担任が再び口を開いた。
やや訝しげな声だ。
「え? ああ、はい」
疑問を持って当たり前だ。
家の用事に、親族以外人間が同行するのか しかも、学校を欠席してまで。
「あ、そうだ。それで、不動君にも用事があるのですが、あいにく忍君しか彼の連絡先を知らないんですよ。そこで二人ともはぐれてしまって、弱っています。不動君の連絡先を教えて頂けませんかね」
宏幸が気の利いた質問を挟んだ。
担任の疑問をかわしつつ、情報も手に入る。
彼は、何気なく、ごく自然に、機転を利かせられる人間だ。
「そうですか。いえ、ご了承されているのであれば良いのです。まあ、うちのクラスは少々特殊ですので、できれば欠席は避けて頂きたいのは確かですがね。 不動君の連絡先ですか? 学生名簿でよろしければお持ちしますが? まあ、四月に配ったものと同じ内容ですが」
「ああ、すみません。よろしくお願いします」
担任は頷き、一度席を外した。
数分ほどして戻ってきた彼の手には、A5判の小冊子があった。
「明日は登校出来そうですか?」
学生名簿を手渡しつつ、担任が言う。
「いえ そうですね…今週一杯。すみませんが」
まだ、解決が見えない。
曖昧にして時間を稼ぐしかない。
「承知しました。
ああ、それから…もう一人、同じクラスの坂口という生徒も欠席しているのですが、もしかして彼も一緒なのでしょうか?」
担任の口から、聞き憶えの無い名前が出た。
志月と宏幸は、お互いに顔を見合わせ、首を捻る
「いえ…その名前は、聞いていないですね」
「そうですか…。いえ、彼だけが無断欠席なので、気になりまして。
失礼致しました。
お話はそれだけですか?」
「はい。ありがとうございました」
志月の返答を確認して、担任は静かに立ち上がった。
二人も腰を上げる。
「それでは、失礼致します」
応接室の前で担任と分かれた。
神経質そうな背中を見送り、志月は踵を返した。
再び、先刻入ってきた校門へ引き返す。
「さて…色々分かったな」
志月は静かに溜息を吐いた。
「 の、ようだな」
しばらく沈黙していた宏幸も口を開いた。
「志月、詳しく説明してくれ。半分くらい話が見えなかった」
「そうか。説明しなければな。とにかく、件の不動昌弘 彼の家に向かおう。その道々に話す」
やっと見えた、忍の足跡。
その痕跡が消えないうちに、彼に追いつかなければならない。
志月は駅に向かう足を速めた。
宏幸もまた、それに合わせて早足になった。
(やっと、追いつく)
否応なく、気が逸る。
(早く、誤解を解かなければ)
彼が受けたであろう傷を、塞がなければ。
そうでなければ
(永久に、忍を失ってしまう)
そんな気がしていた。
眼前に、ほんの小一時間前降りた駅に続く階段が見える。
しかし、それは同じ階段ではなかった。
行き掛けには、暗澹たる気持ちと焦燥ばかりが一段一段にべったりと張り付き、進む先には暗がりしかなかった。
今は違う。
僅かながら、出口が見える。
その細い光を見失ってしまう前に、進まなければ。
志月は、その足を一層速めた。
