
scene.8
夜遅くの報せと言うのは、およそ良くない報せが多い。
静寂を引き裂いたのは、枕元に置いてあった携帯電話の、無機質な着信音だった。
片手を伸ばして、携帯を手に取った。
通話ボタンを押す。
「もしもし?」
その時のそれも、やはり余り良い報せではなかった。
「そうっすか。はい…せやったら、明日」
昌弘は、用件のみの短い通話を切り切った。
「昌弘? 今の電話、何かあった?」
心配そうな顔で、忍が昌弘の顔を覗き込んだ。
「いや、なんもない 」
その視線を、昌弘は軽く払った。
「本当に?」
疑わしげな声が返ってきた。
「少なくとも、お前には関係ない話や」
昌弘の本当の目的は復讐だ。
彼から全てを奪い去った炎。
それを、放った人間がいる。
戦前から存在し続けた花街。
確かにそこに「在る」町は、公には認められていなかった。
だから、正式な住所は無く、その町の名では、住民票も取れない。
当然、戸籍も取れない。
『存在しない町』だからだ。
それでも、その場所で生活している人間は、確かにいたのだ。
物の様に扱われながら、這いずる様に、生きてきた。
(いつも、『いつか出てったる』思てた町やけど)
昌弘の拳に力が入る。
(碌でも無い町やて、いつも思てたけど)
それでも、無くなってしまえなど、思った事は無かった。
存在そのものが違法だとしても、そこは確かに故郷だった。
だから、たった一人で仇を討とうと決めた。
「 ? 昌弘? やっぱりどうかした?」
黙り込んでしまった昌弘に、再び忍が声を掛けた。
「いや、だから何も無いゆうてるやん」
「嘘だ。何か隠してる。転校してきた時から、ずっとおかしかった」
彼は、時々妙に鋭い事を言う。
昌弘は答えを一瞬躊躇った。
「俺は、昌弘に何もしてあげられないのかな…」
今、質されたのは、昌弘の本当の秘密。
それを告げてしまうと、もう後戻りは利かない。
確実に忍を巻き込んでしまう事になる。
それは、昌弘の本意ではない。
彼は、関係無い。
いや、本当は
(ほんまは、無関係とちゃうんよなぁ…)
彼が欲している、彼の過去。
失くしてしまった彼の『中身』が、同じ場所に隠されている。
当時、町全体がある犯罪に関わっていた。
その事実を知る者はごく僅かだ。
大半の人間は、知らない間にそれに加担させられていた。
その証拠を全て隠滅する為に、町は焼かれたのだ。
その渦中で、『幸也』の両親は姿を消した。
彼自身も、本当は無関係では無い。
それどころか、忍自身がその犯罪の事実を知る、唯一の生き証人だ。
昌弘は人から話を聞いただけで、実際にその現場を知らない。
(まあ、本人の記憶が曖昧やし、証人としての能力は無いやろうけどな)
しかし、能力の有る無しはこの際関係無い。
問題は、相手が今も『幸也』を捜していると言う事だ。
告げずに済むならそうしようと思っていた。
しかし、もはやそれも難しいのかもしれない。
皮肉な話だが、『幸也』を連れ去った学生 彼の庇護下ならば、安全は守られたのだろう。
東条志月という人物は、何をどう細工したのか『幸也』という子供の痕跡を跡形も無く消し去った。
そして、高い城壁の中へその存在を封じ、結果として、それが忍を守っていた。
それが、再び城壁の外へ飛び出してしまった今 彼を守る者はもういない。
今はもう、知らないままでいる方が、より危険なのではないだろうか。
昌弘は、意を決してロを開いた。
「幸也、自分の事て知りたいか?」
「俺の事?」
問われた本人は、意味が分からないのか首を傾げている。
とうにテレビのタイマーは切れ、静まり返った部屋の中、聞こえてくるのは遥か地上の車の音と、目の前で怪訝な顔をしている幼馴染の微かに息を吐く音だけ。
それらが却って沈黙を際立たせた。
「お前が一番知りとぉて、一番知らん方がええ事や」
昌弘自身も、その中身を全て知っている訳ではない。
忍自身の事。
彼の両親の事。
あの町ごと焼き尽くされた秘密。
それは、過去に置いてきた小さなブラックボックス。
「……知りたい」
短い答えが返ってきた。
暗がりの中で表情は読み取れなかったが、その声からは迷いの無い響きが伝わってきた。
過去と現在を繋ぐ為に
明日を歩き始める為に
小さな決意が伝わってきた。
