scene.3
約十五分後、ようやく不動は携帯の通話ボタンを切った。
それはまるで、ヤクザ映画の一場面を見ている様だった。
「ん? 何固まっとんや?」
「いや、ちょっと驚いて…」
方言そのものよりも、余りにも強烈な会話そのものに
「ああ、今の話か? あれなぁ て、あれ? ヤバいわ、言葉戻らん。…まぁええわ、どうせ今ここおるのお前だけやし。アカンねんなー、いっぺん戻ってまうと今度はなかなか標準語出てこんようになるんや」
平常それほど努力して標準語で喋っていたとは、忍には信じられなかった。
(充分使いこなしてたよな…多分、俺より余程)
彼には無理して喋っている感じがしなかった。
「不動って、関西出身なんだ?」
それは、話の流れから何となく口を突いて出た質問だった。
「ああ!? お前、ホンマに気付いてへんかったんか!?」
その瞬間、掴みかかる様な勢いで不動は忍に詰め寄った。
「え!? ええ!? 何? 何が!?」
本当に分からなかったので、忍は更に混乱した。
「よぉ見てみぃ! この顔に見憶えあらへんか!?」
今度は顎を掴まれ、強引に目線を合わさせられた。
「デパートでぶつかった人だろ?」
「そら、それも俺やけど…はー…ホンマに薄情やな、幸也て昔からそうやよな」
あからさまに肩を落とし、溜息に混じりに洩れた彼の台詞に、忍は一瞬耳を疑った…。
「え…? ええ…??」
突然、級友の口から飛び出したのはとても懐かしい名前。
それは、志月と出会うよりも前に忍が呼ばれていた名前。
それを知っている人間の数は限られている。
まして、同年代となると尚更だ。
「わざと学校では知らん顔してるんやと思てたのに。あんなお上品な学校通ぅとんのに、出所知れるんはマズイんやろな、て」
『お互いやけど』と付け足し、級友は髪を掻き上げた。
「…もしかして、『マーちゃん』…?」
忍にとって唯一の幼友達なのだが、本人に詰め寄られるまでまるで気付かなかった。
「だーっ! その呼び方すなっ! こん年なったら背中カユいわ!!」
「ご、ごめん。あの、置屋の? 女将さんの一人息子の昌弘だよな?」
「そぉや! 今の今までホンマに気づかんかったんか!」
本気で憤慨している幼馴染に、忍はある疑問をぶつけた。
「でも、昌弘って確か…名字、『友田』って言わなかったっけ」
記憶に残る女将の家の表札に上がっていた名前と、昌弘の名乗っている名字が違っているのだ。
「お前なんか姓名両方変わっとるやんけ! 俺は名字だけじゃ! 席次表ちゃんと見たら『不動昌弘』って書いたあるわ、このボケ!」
これまで溜まっていた鬱憤を晴らす様に、忍がどう返しても昌弘は咬み付いた。
思わず後ろに退がりそうになったが、顎を掴まれたままだった為それも叶わなかった。
「ご…ごめん…」
堅気には見えない雰囲気の彼に、こうも間近で凄まれると、さすがに少し怖かった。
「あん時 三月、デパートでお前見かけた時…城聖の制服着てたから、城聖に編入したろと思たんや。…どのみちどこの学校に行くか選ばなアカンかったしな」
斜めに目線を逸らしながら、昌弘が不貞腐れた声で言った。
「そ…だったん、だ…」
「あーあ、俺ばっかし憶えとってアホみたいやんけ! こんなんやったら止めとくんやったわ」
やっと忍から手を離し、昌弘は立ち上がって背中を向けた。
思いの外、彼は本気で傷付いているらしい。
「あの…」
そのままキッチンへ消えていく背中に、掛ける言葉が見つからない。
「お前なあ、そこで黙んなや! 俺、気まずいやんけ」
カウンターを挟んで突然振り向いた彼は、スネた子供のような顔でそう言い放った。
その余りな一言に呆気に取られた忍は、瞬時に反応する事ができなかった。
「 はあ!? 何だよ、それ! 自分で言ったんだろ!?」
一拍置いて後、幼馴染の理不尽な言い様に抗議の言葉が口から飛び出した。
「この場を和ます為のカワイイ冗談やん。そこは普通笑うとこや」
しれっとした顔で、昌弘が冷蔵庫から取り出した二本目のビールの封を切った。
(和んでないって…。一瞬本気で怖かったんだから)
明らかに自分の方が旗色が悪いという自覚があったので言葉には出さなかったが、本当に怖かったのだ。
先刻の電話での会話も、今のこの剣幕も。
(ああ、そうか、あんまり免疫無いからだ…)
学校には、遠巻きにして色々言う輩はいるけれど、正面からものを言う者などいない。
また、志月はあまり声を荒げる性質ではなかったし、その様な場面も無かった。
そう、通り過ぎた時間の糸を手繰ると、いつも大事に 大事に、まるで壊れもののように大切に、彼は忍を箱の中に仕舞い込んでいた。
宛て先違いの優しさで
その彼が、こんなに唐突に豹変するだろうか。
記憶が欠けていても、同じ人間なのに
今更、今朝の出来事に対して疑問が湧いてくる。
しかし、弁護士が現れて、忍に書類を突き付けたのは事実だ。
何が、どうなっているのだろう。
色々な事が短期間に起こり過ぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。
(考えるの、やめなきゃ…)
こんな状態で何を考えても、混乱するばかりだ。
忍は、固く目を閉じて深呼吸した。
ふと気付けば、さっきまでマシンガンの様に捲し立てていた幼馴染は、キッチンカウンターの向こうに消えていた。