scene.7

 二人が電車を乗り継いで川島家に辿り着いたのは、午後七時頃だった。
「いらっしゃい、遠いところお疲れさま。さ、上がって」
 千里の予想通り、川島夫人は二人をにこやかに迎え入れてくれた。
「突然すみません」
 二人で深々と頭を下げる。
 奥に男性らしき人影が見えたので、千里はてっきり川島宏幸だと思った。
「こんばんは」
 ところが、振り返り小さな会釈を返してきた相手は、千里の見覚えの無い人物だった。
 その人物は北尾と同じくらい長身で、モデルでもしてるのではと思うくらいの男前だった。
「あ!」
 一瞬声を上げた北尾が、慌てて口を抑えた。
「え? 北尾さん知ってるヒト?」
 千里は自分の見覚えの無い相手を北尾が知っているらしい事に驚いた。
「いやっ、ほら! この人!」
 北尾は動揺しているらしくまるで日本語になっていない。
「あら? 北尾君の方は面識あるみたいね」
 弓香もまた北尾の反応に不思議そうな顔をした。
「面識のある人には失礼な挨拶になるけど  はじめまして、東条です」
 にこやかな自己紹介と共に差し出された手を、掴もうとした千里の手が一瞬怯んだ。
 そして、そろそろとその手を握った。
「はじめまして、水野です」
「本当は一度お会いしたことがあるんですが、はじめまして、北尾です」
 横から北尾も会釈をした。
 千里が東条志月と対面するのはこれが初めてだが、話に聞いていた印象と随分雰囲気が違う様に思った。
(もっとつめたそーなヒトかと思ってた)
 意外な人物の登場に一瞬本来の目的を忘れそうになりつつ、慌てて千里は肝心の話を切り出した。
「それで、ぶしつけながら突然お邪魔させていただいたのは、忍のことなんですけど…」
「そうよ、私てっきりあなたたちと一緒だと思ってたわ」
 弓香が身を乗り出した。
「実は、一限目が始まる前に早退してるらしいんです」
「ええ!?」
 今度は弓香と志月が声を揃えて身を乗り出してきた。
「あっ、オレはクラス違うからはっきりと事情が分かるわけじゃないですけど、同じクラスのヤツが言うには誰か訪ねてきたとかで、呼び出されてそのまま早退しちゃったらしいんです」
 千里は不動昌弘から得た情報を、二人にそのまま伝えた。
「俺たちは逆に東条さんの病院に行ってるんじゃないかと思ったので、それを確認しようと思ってこちらへ伺ったんですが」
 さらに北尾が千里の言葉に補足を付けた。
「うちには何の連絡もないわ」
 弓香が志月の顔を伺い見る。
 視線を向けられ、慌てて彼は首を横に振った。
「え? つまり、えーと…誰も忍が今どこにいるか知らないの?」
 一瞬の沈黙を千里は一言で取りまとめた。
「そうみたい、だな」
 北尾がその一言を受けた。
「やだ! 電話電話!!」
 川島夫人は慌てて受話器を握った。
「オレも何回も電話したんですけど、ずっと圏外で。  ていうか、多分電源切ってるんじゃないかなって…」
 落ち着かない手付きでダイヤルをプッシュしている弓香を、千里が申し訳無さそうに止めた。
「携帯の電源まで切ってるの?」
 弓香の顔が深刻さを増した。
 彼は自分が居候である自覚が強く、迷惑をかけない様にと、いつも連絡には気を遣っていた。
 その彼が、学校を早退し、何の連絡もなく、携帯の電源まで切っている。
「ねぇ…それって、家出って言わない…?」
 彼女には似つかわしくない、消え入りそうな呟きだった。
 その小さな呟きは、その場にいるもの全員の言葉を奪った。
 嫌な沈黙が室内を覆う。
「ま…っさかぁ!」
 千里がその沈黙を打ち破った。
「確かに色々考え込んでたけど、どっちかって言うと前向きだったし、家出するような素振り無かったですよ」
 どちらかと言えば、最近の彼は前向きだった。
 前向きだからこそ、真剣に色々考えていた。
「絶対、何か事情があるんだと思う。1限目が始まる前に来たとかいう、その客! 絶対何かあるんだと思います。何もないのに、忍は消えたりしないもん」
 きっぱりと、千里は言い切った。
「あ、別に主観的に言ってるんじゃないですよ? 忍は良くも悪くも  はっきり言って悪い時の方が多いんだけど、受け身だから。自分からいなくなることは無いかなって。いなくなるには、それだけの何かが起こったんじゃないかって、思う…」
 友人を信頼しているなどという感情論が根拠ではない事を、千里は付け足した。
「そうねぇ…それは、私も水野君に同意見だわ。唐突に自分から思い切った行動に出るタイプじゃないわね。悪い言い方をすれば、よっぽど追い込まれない限り自分から動かない子よね」
 川島夫人は千里の言葉に深く同意を示した。
 その隣で、件の保護者氏  東条志月は何とも言えない微妙な表情で押し黙っていた。
 それが千里には妙に気になったが、訊ねるのも何となく躊躇われ、迷っているうちに、訊きそびれてしまった。
「とにかく、ここでこうしてガン首並べていても何にもならないわ。とりあえず一旦解散にしましょう」
 川島婦人が解散を提案した。
 確かに、彼女の言うとおりここで集まっていても何ら進展は無さそうだ。
「水野君と北尾君は、連絡があったらうちに知らせてくれる?」
「わかりました。オレも他のトモダチとか、当たってみます。どこかで誰か会ったヤツ、いるかもしれないし」
 そう。
 不動も捜している様子だった。
 彼が見つけているかもしれない。
 千里は、昼休みに抜け目無く訊きだしておいた不動の携帯番号をさりげなく確認した。
(後で電話してみよ)

 そんな風にして、それぞれの人間が忍が帰ってくるのを待っていたけれど、
 その日、とうとう忍は帰ってこなかった。

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