
scene.6
「びっくりしたでしょう? 通り一本外れちゃうと、随分静かになっちゃうんだよ」
「そうだね」
「でも、もうすぐそこだから」
健康食品の店を目指し、坂口は更に路地裏を奥へ進む。
(段々本気で人気が無くなってきたな…)
そこはもう、むしろいかがわしいという言葉が似つかわしい通りだった。
「坂口、本当に道合ってるの?」
不安になり、坂口に問い掛けた。
「うん、大丈夫。ちょっとヘンなところにあるけど、大丈夫だから」
そうだろうかと更に不安が濃くなった瞬間の事だ。
「おい! 何やってんだよ、こんなところで」
横道から不意に現れたのは不動だった。
「そっちこそ、こんな所で何してるんだよ」
いつもの単なる無愛想に増して、この時の彼はすこぶる不機嫌そうであった。
「坂口とこれから買い物に行くんだけど」
忍は成るべく普通に返事をした。
坂口は既に忍の後ろに隠れている。
「はぁ!? 買い物!? こんな場所にか!? この辺りがどんな場所か分かって言ってんのかよ!」
不動が目くじらを立ててがなる。
「どんな所って…」
「分かんねぇで来てんのか。しょうがねぇな…来いよ! 何でもねぇとこまで送ってやるから」
呆れ返った様に溜息を吐き、不動は忍の手を引っ張った。
坂口の存在はまるで視界に入っていない様に無視している。
「ちょっ…!」
慌てて背後の坂口を振り返る。
忍はきっと坂口が困った顔をしているのではないかと思っていた。
しかし、振り返った先には、恐ろしく無表情な彼が立っていた。
「坂口…?」
やれやれと言わんばかりに不動はもう一つ大きく息を吐くと、わざわざ坂口の胸ぐらを掴みに行き、低い声で何やら凄んでいた。
「お前、これ以上こいつにちょっかい掛けたら海に沈めるぞ」」
余りにも声が低かった為、忍の耳に聞こえてきたのはこれだけだった。
乱暴に坂口から手を離すと、不動は表通りへ向かってスタスタと 歩き始めた。
もちろん、忍の腕を掴んだままだ。
忍も、あまりの出来事に呆気に取られ、そのままずるずるとされるがまま引っ張られて行ってしまった。
けれども、どうしても気になって一度だけ坂口を振り返った。
その時見えた彼の顔は酷く無表情で剣呑としていて、つい先刻までの人懐っこい同級生の顔ではなかった。
何か、得体の知れないものを見てしまった様な気がして、忍はすぐに前に向き直った。
「不動、おい不動! どこに連れて行くんだよ!?」
不動はと言えば、無言のまま延々と裏通りを歩き続けた。
もうさっきの暗い通りはかなり遠離っている。
それでも、不動はひたすら歩き続けた。
「お前んち。しょうがねぇから送ってってやる。F駅でいいのか?」
ようやく明るい通りに出ると、不動は足を止めて忍を振り返った。
そこには、つい先刻の怒気を孕んだ様子は無く、ぶっきらぼうながらも、いつもの彼だった。
「あ、いや……。良いよ、送ってくれなくて」
一瞬の躊躇いから、表情を読まれた。
不動が鼻を鳴らして言う。
「何だよ、帰んねぇのか?」
実は、忍は細かい嘘が苦手だ。
構えて構えて嘘を吐くことは出来るが、日常的にされる些細な問いかけに対して『誤魔化す』と言う事が上手に出来ない。
「う …まぁ…」
この時も、咄嗟に誤魔化せず、つい正直に答えてしまった。
「ふん。何処か行くアテあんのかよ。さっきの様子じゃ、無さそうだよな」
「……」
「んじゃ、うち来るか? こっからそう遠くねぇし」
「は?」
「うち! 坂口の事では、話しときたい事もあるしな」
「でも 」
誰かの家へ行くという事は、そこにはまた初対面の誰かがいて、また余所行きの気持ちで固くならなければならないという事。
今の忍に、その心の余裕は無かった。
「俺、一人暮らしだから気兼ねはいらねえぞ」
まるで心の中を読まれた様な言葉だ。
「あ…そうなんだ」
少しほっとする。
それなら行っても大丈夫かもしれない。
(あれ? でも確か不動って親の転勤で引っ越してきたんじゃ…)
いつぞや、転校の理由を訊ねた時、彼はそう答えたのではなかったか。
(それなのに、一人暮らし? それって、おかしくないか?)
「決まったらたったか行くぞ! ホラ!!」
「えっ!?」
深く疑問に思う前に腕を強く引っ張られ、忍の思考はそこで途切れた。
まだ決めてない、そんな一言を言う間もなく不動は再び歩き始めた。
彼とこんな遣り取りをするのは一体何度目だろうか。
しかし、ここ二ヶ月程こんな遣り取りを繰り返していた所為か、ずっと昔からこうしていた様に思ってしまう。
慣れとは怖いものだと思った。
(それにしても坂口の事で話したい事って…?)
いくつかの新たな疑問符を抱え、忍は手を引かれるままに不動の後を追って歩く。
二人の影は繁華街を泳ぐ様に抜け、ネオンの洪水の中を消えて行った。
