scene.4
時間は少し前に戻り 同日、二十三時三十分。
若者の街の一角に、北尾の通っている予備校があった。
何故こんなに遅い時間になるかと言うと、まず受験科目の予備校に行った後、更に司法専門の予備校に通っているからだ。
彼の父は実は護士なのだ。
事務所も、古いビルの一室を借りてささやかに運営している様な個人事務所であり、仕事も国選弁護人をやたら引き受けてくるので、それ程儲けてもいない。
家構えだってごくごく普通の一戸建てだ。
もっと儲けようと思えば儲けられる職業なのに、それが出来ない父親を、北尾は最近少し好きになった。
だから、父親の助けになればと、彼はとりあえず司法書士を目指す事にした。
今の処、城聖から上がれる系列校の法学部に進学する予定だ。
内部受験なので、実は進学自体はそんなに困難では無い。
この予備校通いは主に進学後に受ける司法試験の為だ。
ところで、北尾の自宅は繁華街から程近い住宅街の中にある。
その為、予備校帰りはいつも繁華街の狂乱の中を抜けなければならなかった。
街の華やぎと自分自身があまりにも不釣合いで、出来ればなるべく避けたいのだが、家がその側にあるのでは仕方ない。
北尾は、その繁華街の中でも一番治安の良くない地域に差し掛かり、ますます歩速度を上げた。
繁華街と言うよりは歓楽街と言う一角を通り抜けようとした時、北尾は思わず足を留めてしまった。
そこに見憶えのある顔を見つけたからだ。
(あれ…)
眼鏡を掛けていなかったので一瞬分からなかったが、生意気そうな面構えにそれなりに鍛えられた身体つき それは忍と一緒に昼食に現れた下級生、不動だった。
私服姿は制服からは想像できないくらい派手な格好だった。
ハッキリ言って、他人の空似ではないかと思った程だ。
(何やってんだ? こんな所で)
不動は一人ではなかった。
明らかにその筋の男と、水商売風の女と、三人で何やら話している様だ。
たまたま通りがかって絡まれているのであれば、助け舟を出すべきかと思った。
しかし、しばらく様子を見ていると、不動は絡まれている訳では無いのが分かった。
どうも相手は彼の知り合いらしく、親しげに歓談している。
とりあえず絡まれているのではなかった事に、北尾は胸を撫で下ろした。
しかしその一方で疑問も沸いてくる。
(あんな所であんな連中と…一体何を話していたんだ?)
あまりまともな内容ではないだろうと思った。
見た限り、水商売風の女はしなだれかかっていて、とても親子や姉弟の様には見えなかった。ヤクザ風の男も、単なるチンピラではなさそうだ。
そんな連中と親しげに、しかも対等な遣り取りをしている不動。
(何者なんだ…?)
同じ学校の、しかも親しい者の近くに、あんな得体の知れない人間がいる。
北尾はその事実に身震いせずにはいられなかった。
そして、ふと気付く。
(…俺って、結構日和見だったんだな)
仮にも法律家を目指そうと言うのに「こんな事でどうするんだ」と北尾は大きく溜息を吐いた。
やがて不動が手招きをして他の二人を連れ、手近の店の中へと消えていった。
誰もいなくなった路地をいつまでも眺めていたって仕方が無いので、北尾はその場を離れた。
高校生がこんな時間、歓楽街の片隅で
不動は一体何者なのだろうか。
(いや、この際不動自身の事は置いといて )
いくら北尾でも、そこまで世話は焼けない。
気懸かりなのは、不動と同じクラスの忍の事だ。
(あいつ意外と流されやすいところあるし、変に巻き込まれなきゃ良いけどなぁ…。東条が巻き込まれたら、自動的に千里も首突っ込むんだろうなぁ)
今日の昼間の遣り取りを思い出し、北尾は眉間を押さえた。
そして、足早に歓楽街から離れていった。
春の夜。それは、霞の降りた春の夜の事だった。