scene.2

 宏幸を送り出した弓香は、押入れの中からダンボールの箱を引きずり出し、数冊のアルバム取り出した。
「まぁまぁ、時間軸に沿っていきますか」
 言いながら、小学校時代のアルバムから弓香は広げ始めた。
「篠舞と初めて一緒のクラスになったのは小学校五年生の時なの。何て言うか冷めた感じの子で、少しクラスから浮いてたなー。私も最初はそんなに親しくなくて  
 弓香が広げて見せたのは、林間学校の写真だった。
 私服の小学校だったらしく、皆それぞれにバラバラの服装をしていた。
「これが篠舞。この時同じ班になって 、初めてまともに話をしたのよね」
 指差された所に目を遣ると、袖の無い白いワンピースを着た少女がこちらを見ている。
 周囲の同じ歳の女の子達に較べると、少し大人びている様な  冷めている様な、目線をこちらに向けながら、笑う事無く立っていた。
「この時に、私同じ班の他の子達にからかわれちゃって  荷物を隠されちゃってね。私こういうキャラだから、凹まないと思われてたみたいで。でもその時私、すごく凹んじゃったの。こんなことされるくらいみんなにキラワレタのかなって  後から聞いたら全然そんなことなくて、みんな私がすぐに笑いながら誰よ、もう! って訊きに来ると思ったらしいんだけどね。でも、私は愕然としちゃって誰にも訊けなくて、その時に一緒に篠舞が探してくれたの。それが仲良くなったきっかけかな」
 写真の中の友人を指でなぞり、弓香は少し寂しそうな顔をした。
 今はもういない友人が、切り取られた時間の中にある事の遣り切れなさを感じている様だった。
 もしかしたら、弓香自身もかの友人の死後、アルバムを開いた事が無いのかもしれない。
「えーと、次は中学校かな」
 弓香の声が少し大きくなった。
 気持ちを切り替えるためだろうか。
 新たに開かれたアルバム、その最初のページは入学式の写真だった。
 濃紺のセーラー服に身を包んだ弓香と篠舞が、肩を並べて校門の前に立っている。
 篠舞の方は少し背と髪が伸びていて、弓香はこの頃から眼鏡を掛け始めた様だ。
 アルバムは中学校三年間を順に追い、中の少女は徐々に成長してゆく。
 弓香は今の弓香に近づいてゆき、篠舞は忍の歳に近づいてくる。
 そうして、とうとうそれは高校時代のものに移り、写真の中の彼女は忍の年齢に追いついた。
「これは修学旅行の写真だわ。京都へ行ったのよ、この時」
 女子は白いブラウスに赤いリボンタイ。
 スカートは紺色のつなぎで、襟はスクエア。
 少し古い型の公立高校の制服だった。
 男子の方はごくシンプルに黒の詰襟だ。
「志月くんや宏幸くんと知り合ったのは、この頃  高校二年生の二学期ね。篠舞と志月くんが同じ委員会になって、芋づる式に  ていうか、私が篠舞に頼んだのよね。川島君を紹介して欲しいって」
 弓香は照れくさそうに笑った。
 どうやら、川島夫妻の慣れ染めとやらもこの時代のようだ。
  まぁまぁそんな訳で、修学旅行のときに初めて話したのかなぁ…」
 楽しいけれど寂しい  近い想い出はリアルで、鮮明で、心にちくちくとささくれの様に引っ掛かる。
 いつも明るく元気な若奥様にしては、珍しくその声が空元気なのが忍にも伝わってきた。
 彼女にとっても、背尾篠舞の死はまだ直視する事が難しい現実なのかも知れない。
 忍がさり気なくアルバムを閉じようとした時、次のページがちらりと目に入った。
「あっ」
 思わず忍は声を上げてしまった。
「なあに?」
 弓香が我に返って、アルバムを覗き込む。
「あ、いえ  何でも無いです」
 忍は慌ててアルバムを閉じた。
「気になるじゃない、何よー」
 弓香は強引にページを戻す。
「ああ! そっか! 志月くんの写真だ!」
 少しピントのボケた写真の中に、自分と同じ歳の志月がいるのを忍は見つけたのだ。
 詰襟の釦を二段目まで外して、驚いた顔で写っている。
「志月くんは自分が撮るのは好きな割に自分は写りたがらなくて、いつも宏幸くんが強引に撮るのよね。だから常に仕上がった写真はピンぼけ」
 可笑しそうに弓香が笑う。
「あ、なるほど…」
 納得した。
 撮る側の人間は、得てしてそういうものだ。
 そして、忍はそれ以上ページを捲るのを止め、改めてアルバムを閉じようとした。
  せっかくだから、最後まで見ましょ?」
 やんわりと、弓香の手がそれを止めた。
 そして順にページを捲ってゆくと、十七歳の志月と篠舞が肩を並べて写っている写真を見つけた。
 やはりそれも少しピントがボケていた。
 肩を組まれて気恥ずかしそうにしている少女と、照れ隠しにわざと得意げな表情を作っている少年がレンズに視線を向けている。
 篠舞の髪は中学校時代から比べて随分と長く伸び、腰にまで届いていた。
(似ているだろうか…?)
 宏幸は似ていると言った。
 弓香はあまり似ていないと言った。
 志月は  忍が直接それを訊ねる機会は持てなかったけれども、似ていると感じたからこそ手許に置いたのだろう。
 パーツを一つ一つ眺めて見るものの、とかく自分の顔と言うものは自分では分かりにくいものだ。
 見れば見る程違う様な気もするし、どこかで血が繋がっていそうだと言われれば、その程度には似ている気もする。
「そうねぇ…目許が少し似ているのかもしれないけど、雰囲気と言うか  性格が全然違うのよね。あの子は常に自分一人で何でも決めて行動してしまうから  忍くんはどちらかと言うと受身なタイプでしょう? 周りの変化に合わせて自分の次の行動を考えるって言うか。篠舞は、周囲がどうであっても自分の決めたことは譲らないの。婚約中に留学しちゃうくらいだしね」
 今はもういない親友を想い出し苦笑しながら、忍の心中の疑問を拾って弓香が言葉で答えた。
 そして、親友が生前に行った数々の所業について、面白可笑しく  時には真摯に話してくれた。
 忍は今まで、彼女や志月の事をここまで具体的にそんな話をした事が無かった。
 宏幸はその話題には触れないし、当の本人はもう憶えていない。  記憶が失われる前にも、過去の話は一切した事が無い。
 弓香は、忍の心の空欄を埋めるべく、これまでの出来事を丁寧に説明してくれたのだ。
(弓香さんだって、辛い記憶のはずなんだ)
 忍はちらりと弓香の顔を見上げる。
 彼女は丁度最後の一ページを捲る処だった。
 その顔は、忍の懸念を振り払う様にとても穏やかだった。
 途中何度も寂しそうな顔をしたり、遣り切れない様な複雑な表情になったりしたが、今は穏やかに凪いでいる。
「ふう、結構な枚数だったわね」
 弓香が顔を上げてにっこり笑った。
(無理をしたんじゃ…ないか?)
 自分の為に、弓香が自らの傷を抉ったのではないかと気になったものの、忍はそれを問う事が出来なかった。
 そんな問い掛けをするのは、とても難しかった。
「ありがとう  つきあってくれて」
 忍が考え込んでいると、不意に弓香が思いもかけない様な言葉を発した。
「え…っ?」
「あの子のこと…一人で振り返る勇気は無かったの。  でも、宏幸くんと一緒に振り返ることも出来なかったんだ。だからありがと! つきあわせちゃってごめんね」
 ふわりと弓香の手が忍の頭に下りてきた。
(何か、返さなければいけない  のに…)
 こういう時に返す言葉を、忍は持っていない。
 魚の骨が喉に引っ掛かった様な感覚を憶えながら、それを吐き出す事が出来ない。
「オバサンの愚痴だから、気にしないで。そんな顔しないのよ」
 弓香が苦笑した。
 一体自分がどんな顔をしていたのか、忍に確認しようも無かったが、きっととても情けない顔をしていただろう。
  オバサンって、自分で言っちゃいましたね」
 だから、この一言が忍にとっては、考え込んだ挙句の精一杯のリアクションだった。
「あっ! やぁだ、ホント!! 自分で言っちゃった!!」
 弓香がそれに乗っかってくれたので、忍は心の中で胸を撫で下ろす。
そこにはもういつもの空気が流れていた。
「あら、そう言えば今何時なのかしら」
 思えば二人して随分長い時間アルバムを眺めていた。
 弓香に釣られて時計に目を遣ると、既に十一時を回っている。
「もうこんな時間!?」
 忍は慌てて立ち上がった。
 宏幸との待ち合わせは十二時だ。
 待ち合わせ場所は川島家から最寄のF駅。
「あらあら、ちょっとのんびりし過ぎたわね。軽いお食事作るから、忍くんは出かける準備しててね」
 そう言うと、弓香は素早くキッチンへと消えていった。
 忍は、真新しい服を抽斗から出した。
 去年の年末に、志月がかの洋装店「ロイズ」で仕立ててくれた物の中の一着だった。
 昨日、外出先から戻ると届いていたのだ。
(川島さんが、郵便物や宅配の転送を申し込んでくれていたんだな)
 オーダーした当の本人は、ついぞ見る機会の無かった服。
 その中から、比較的ラフな物を選び、袖を通してみる。
 白い開襟シャツと、細かいグレンチェックのパンツだ。
 さすがに細かく採寸して仕立ててもらっただけあって、それらは忍の身体に無理なく馴染んだ。
 身体を捻ってみたり伸ばしてみたりしても、どこも攣らない。
(すごいな、すごく楽だ)
 変な処に感動を憶えつつ、忍は弓香のいるキッチンへ向かった。
 料理長へと早変わりを果たした弓香は、丁度テーブルに料理を並べているところだ。
「あ、ちょうど良かった! 今出来たところなの」
 チャーハンと、いつも作り置きして冷凍庫に仕舞ってあるお手製の春巻きだ。
「ちょっと時間が無くて手抜きメニューだけど」
 弓香が苦笑する。
「いえ、充分です」
 忍は慌てて否定する。
「駅に十二時でしょ? さぁ食べて食べて!」
 弓香の言葉に、忍の心臓が跳ね上がった。
 つい先刻まで、アルバムなどを見たりしているうちに随分と落ち着いていたのだが、ここにきてまた緊張感がぶり返してしまった。
 落ち着かない心持ちで、出された料理を口に運ぶ。
 それは食べていても食べていない様な食事だった。
 いつもは美味しく感じる弓香の料理も、全く味がしなかった。

  会う。

  もうすぐ。

  志月に。

 あの火事の夜以来一度も会っていないその人の顔を、今更に思い描いてみる。
 しかし、何故だか、かの人物の顔を明瞭に描く事は出来なかった。

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