
scene.4
遅めのランチを終え、千里と忍は繁華街の中を歩いていた。
「どーのへんにしよっかなー」
ほとんど独り言の様な呟きを洩らしながら、千里がてくてく歩く。
その半歩後ろを忍は付いて歩いた。
春休みという時期の所為なのか、千里の言う様な路上演奏の若者はそこかしこにいた。
道端に座り込み俯き加減にしている者も在れば、ほとんど演奏そっちのけで友人たちと話し込んでいる者もいる。
また中にはジャグリングなどのパフォーマンスを披露している者もいる。
それらの音や、周囲の店から洩れ聞こえてくる音が雑多に混じり合って、単なる雑音と化している。
「うーん…なんかウルサイねぇ」
お互いそれなりの音量で演奏しようと言うのに、そんなに密集してどうするのだろう、と突っ込みたくなる程、各グループ間の距離は近かった。
この辺りは幾つかのショッピングモールやデパートが密集していて、確かに人通りも多いので演り甲斐もあるのだろうが、それにしてもお互いが近過ぎる。
ましてアンプを使うなど騒音以外の何者でも無い。
「もうちょっとはなれよっと」
千里はあっさりその場を離れ、繁華街の裏側にある薄暗い路地へと入って行った。
古い飲み屋や風俗店の建ち並ぶその路地は、まだ日が高い所為か何処と無く白けた雰囲気でもの寂しい。
「こんな所で弾いてても誰も聴こえないんじゃないの?」
この辺りで働いている者ですらいない様な時間だ。 最も、いたらいたで下手をすると因縁の一つも吹っかけられそうな場所ではあるが。
「ま、別にいいよ。誰も聴いてなくても。 忍がいるし」
にっと笑って、千里はケースの蓋を開けた。
中から飴色の楽器が取り出される。
忍は、前々からこの楽器を見るにつけ思っていた事がある。
弦楽器と言うものには独特の色気がある。
特にこの一般的なオーケストラ等で使われる、ヴァイオリンやヴィオラ等はその声、色、形の全てが艶やかだ。
(そう言えば、ヴァイオリンの音色が楽器の中で一番肉声に近いって 聞いた事あったっけ)
それにしても千里の服装ときたら、とてもじゃないがクラシックな楽器を構えるのが似合わないカジュアルさだ。
膝丈のカーゴパンツに、わざと破かれたデザインの長袖Tシャツ。
その上からおそらくレディースであろう細身のネルシャツを羽織っている。
しかし、一本一本調弦しているその様は神聖で 何者も触れるのを赦されない様な光景だった。
「そう言えば、忍の前で弾くのってあれ以来じゃない?」
一通り準備を終えた千里が言った。
「言われてみればそうだっけ」
病院では何度か会っていたが、当然その場所では演奏など出来ない。
という事は、なるほど彼の言う通り、あれ以来である。
しかし、とても印象が強かった所為か、忍はさほど間が空いている様に感じなかった。
「それで千里、何を弾くの?」
「とりあえず、学校ではまず弾かないようなヤツをね」
「クラシック以外って事?」
「ん、まぁ…とりあえず何でもしてみようと思ってさ」
数度弦の上に弓を滑らせ、感触を確認する。
そして彼は無造作に弾き始めた。
優雅なイメージのこの楽器には似つかわしくない、激しい曲だった。
ヒステリックに細かいトリルを何度も繰り返す。
突き抜ける様な高音域。
疾走の速度。
歌というよりは、叫び声に近いその曲は、確かに学校では習いそうも無い。
(あ…、そうか。これ「移民の歌」だ)
不意に、それが知っている曲だと言う事に気付いた。
志月が車内でよく掛けていた曲のうちの一つだ。
レッドツェッペリン、移民の歌。
随分とアレンジされていてなかなか分からなかったが、古い時代のブリティッシュロックの名曲だ。
(何でもしてみよう、か…)
千里は本当に生気に満ちている。
常に前方向に力を放出している。
楽しければもちろん、怒る時も、落ち込む時でさえも前のめりだ。
だからこそ、彼の音は聴いていて気持ちが良い。
