scene.2
その週の日曜日、昼食が終わって間も無いタイミングで、千里が病室を訪れた。
「しーのぶー、調子どう? 元気にしてるー?」
明るいトーンの声で、彼は病室に飛び込んできた。
「元気だよ。退屈だけど」
元気なくらいなら入院してない、とか、そういう事を千里に言ってはいけない。
「北尾さんから制服預かってきたよ」
千里は左手に提げていた白い大きな紙袋を忍に差し出した。
「ありがとう。ごめん、手間かけて。先輩にもありがとうって伝えてくれる?」
千里も、今話題に上った北尾も、忍と同じ城聖学園高校の生徒だ。
千里は同学年、北尾は一学年上の生徒である。
先日の火事で衣類も何も全て焼けてしまい、困っていた処、たまたま見舞いに訪れていた北尾が、自分予備の制服の貸し出しを申し出てくれたのだ。
最初、千里も同じ様に言ってくれたのだが、彼は忍よりも十センチ近く背が低い為、サイズが全く合わず、敢無く断念した。
「いーよ、いーよ、気にしない! ナンダカンダ世話焼くのが趣味なんだから、北尾さんは! 礼なんか言ったら、逆に恐縮するよ、あの人」
「ひどいな、それは」
ひどい、と口では言いながら、忍もまた笑ってしまったので、同罪だ。
「あ、そうそう。これはオレの妹から」
急に話題を切り替え、千里が鞄の中から数冊の本を取り出した。
「妹さん…? 会った事無いのに」
それ処か、千里に妹がいる事さえ知らなかったくらいだ。
「気にしない、気にしない。友達が入院してるから見舞いに行って来るって話を家でしたらさ、"病院ってタイクツだよね、これ渡して"って持たされたの。妹、去年盲腸で入院したからねー。相当ヒマだったみたい」
会った事も無い女の子からの見舞い品に、忍は少々戸惑いつつ、それらを受け取った。
どうやら内容は絵本と童話の様だ。
(千里の妹って、小さい子なのかな…?)
「妹さんには、今度お礼させてもらうね」
忍がそう言うと、千里がにやりと笑った。
「あ、今お礼するって言った? 言ったよね? 覚悟してね。多分、それ音読させられると思うよ。妹の趣味なのね、人に童話とか絵本の音読させるの。オレ、よくやらされるもん」
「え…っ!? そ…それはさすがにちょっと…」
思わず受け取った本を返しそうになった。
「早く退院しないかな。退院したらうちに招待するからね」
やたら嬉しそうに千里が計画を立て始めた。
このままでは恐ろしい事になる。
そんな危機感が忍を襲った。
そして同時に、とても不思議を感じていた。
忍と千里の関係は、そもそも"加害者"と"被害者"だった。
勿論、忍が前者だ。
それが、今こんな風に見舞ってもらったり色々気遣ってもらったりしている。
「あれ? …元気、って言ってるわりに顔色悪くない!? ていうか、目の下クマになってるし! ちゃんと寝てるの!?」
不意に、千里に詰め寄られた。
「え、ね、寝てるよ」
いきなり虚を突かれて、忍は狼狽えた。
「ウソ言え! どー見ても寝不足の顔してる! どうせ何か暗くなって考え込んでたんじゃないの!?」
相変わらず千里は鋭かった。
ただ、考え込んでいたのではなく、覚醒するだけなのだが。
「夢見が悪くて、目が覚めるんだよ」
忍は、例の赤いネオンの夢を話した。
何かからひたすら逃げ続ける夢。
その為に何度も目が覚める事。
「結局さぁ、くよくよ悩むから夢見が悪くなるんじゃない?」
話を聞き終わった千里も、少し困った顔をしていた。
何せ、不調の原因が夢だというのでは、手の出しようが無いからだ。
「うん、まぁ…それは、否定しない」
悩み事とは少し違うが、一気に色々と考えなければならなくなった事で、精神的に疲れている事は確かだ。
まず、住む事。
食べる事。
そして、志月の事。
これから一体、どうなるのか。
自分がどうすべきなのか。
最善とは何か。
いくら考えても、答えは出なかった。
「まあ、あんまり悩まないようにね、って言っても…なんだけどさ。
退院したら、どうするの? まだ、例の保護者さんは入院してるんでしょ?」
千里の言う保護者というのは、志月の事だ。
子供の頃に彼に引き取られたのだという話をしているので、千里の中で、志月はそういう認識になった様だ。
「忍さぁ、何だったらウチに下宿する? 父さんが外国航路の船に乗ってるから、ウチ、その分の部屋が余ってるし。学校はだいぶ遠いけど…」
本当に心配してくれているらしい。
「ありがとう。気持ちだけ貰っとく」
とてもありがたい話だが、素直に受けられる話ではなかった。
同じ学生の身分の千里が、一存で決められないはずだ。
先の話では、妹もいる。
その上、父親が長期間家を空けざるを得ない。
そんな家に、赤の他人を置いてくれとはとても言えない。
それでも、そういう風に言ってくれる千里の気持ちは、忍は嬉しかった。