scene.3
委員会を決めた日から約一週間が経った。
今日は初めての委員会が開かれる日。
「東条君、今日放課後三時四十五分から物理室で学年委員会だって。代表決めるみたい」
昼休み、昼食を終えた頃を見計らったタイミングで、背尾篠舞が声を掛けてきた。
「ああ、分かった。サンキュー」
委員会を告知するプリントを手渡され、志月はそれに目を落とした。
「いーわよねー。被害者でぇすって顔してれば、かばってもらえてー」
志月がプリントに目を通していると、例の金井という女子が、彼女に向かって聞こえる声で嫌味を言った。
「 それじゃ、渡したから」
彼女にも絶対聞こえていたはずなのだが、それでも眉一つ動かさずその場を立ち去ろうとした。
「ちょっと、待って!」
このまま立ち去らせてしまうと自分まで連中と同類になりそうで、つい用事も無いのに呼び止めてしまった。
「何?」
彼女は少し驚いたように目を見開いた。
「ちょっとくらい座ってけば? 俺の相方、今彼女のとこ行ってて昼休み終わるまで帰ってこないし」
志月は自分の前の席を指差して言った。
相方とは宏幸の事だが、二クラス先の女子と付き合っているため、昼休みは大抵いない。
「…いいけど、東条君まで言われるよ」
彼女はまだ腰を下ろそうとしなかった。
困惑した顔で、志月を見ている。
「それがどうした。今のは、俺も腹が立ったんだ」
聞こえる距離で言うくらいなら、いっそ面と向かって言えば良い。
志月はそう思った。
「いつもの事よ」
涼しい顔で、彼女はそう言った。
「そうだけど…。座れよ、いいよ別に何言われても」
そこまで言うと、やっと背尾篠舞は志月の前に座った。
「 って言っても、実は特に用事は無かったんだ。まあ、これから半年も一緒に委員会やるんだし、よろしくって事で…」
強引に呼び止めておいて、実は用事が無かったなど、なんと締まらない話だろう。
しかし、そう言って肩を竦めた志月に、彼女は初めて笑った。
「おかしなの、東条君」
表情が柔らかくなると、篠舞は中々の美人だった。
(そこがまた反感買ってるんだろうな)
「志月でいいよ。友達に名字で呼ばれる事、あんまりないから」
「友達…?」
今度はきょとんとした顔をして、そのまま固まってしまった。
志月にとっては何て事ない単語だったのだが、彼女にとってはきっちり線引きされた言葉だった様だ。
「いきなり友達呼ばわりしちゃ、失礼だったか?」
こういう質し方は意地が悪いのだろうか。
そう思いつつ、訊ねてみた。
「あー、ううん、そんな訳じゃなくて…。男子を下の名前で呼ぶのは、免疫無いわ」
志月の質問が、どうやら彼女のペースを乱してしまったらしい。
普段の、飄々として動じない姿からは想像出来ないくらい、彼女は戸惑っていた。
( 面白い)
「何笑ってんのよ?」
精一杯仏頂面を作って彼女は抗議したが、髪を掛けた耳が赤くなっていた。
「ううん、別に。そう言えば、背尾っていつも休み時間本読んでるけど、あれ何読んでるんだ? やたら重たそうな本ばっかり読んでるけど」
この場合の重いと言うのは、内容ではなく重量の事だ。
篠舞が読んでいるのは大概ハードカバーの辞書の様に分厚い本ばかりだった。
「ああ、いろいろよ。私、卒業したら留学するつもりなの。だからその勉強してるの」
もっと嫌がるのかと思ったが、彼女は意外と素直に答えてくれた。
「へえ、留学するんだ。どこ行くの? アメリカ? それともヨーロッパ方面?」
志月自身、小学校四年生から中学校卒業まではイギリスに留学していた。
だから、場所によってはアドバイス出来るかもしれない、と思って更に質問を重ねた。
「うーん、アメリカと言えなくは無いけど…南米なの。だから今ポルトガル語の勉強中なんだ」
残念ながら彼女の目的地は、全く志月の守備範囲外だった。
女子大生の留学と言えば、アメリカやイギリスへの語学留学が定番だと思っていた。
彼女のあまりにも意外な留学先に、志月は驚いた。
「何しに? 何て言うかあんまり留学する様なイメージ無い方面なんだけど」
どちらかと言うと、旅行する国 あるいは探検する国という印象が強い。
「あ、そうか。やっぱりあんまり勉強しにいく行く様なイメージじゃないよね。どうしようかな…とう 志月…君、笑わない?」
篠舞が躊躇うような顔で志月を見た。
「? ああ、笑わないと思うけど…」
「…私、考古学者になりたいんだ。アステカとかマヤ文明の古代遺跡の研究がしたいの」
篠舞の答えに、志月は決して笑う気にはならなかったが、一瞬言葉に詰まってしまった。
「こうこがくしゃ…」
「そう」
相当照れくさかったらしく、彼女の顔が真っ赤になっていた。
「 すごいな」
偽りの無い感想だった。
「そうかな」
「すごいんじゃない? たいていの連中はただ何となく高校生やって、とりあえず進学するんじゃないの? そりゃ、少しでもレベルの高い大学に行きたい、って程度の目的意識はある程度あるんだろうけど。まだ、将来必ずこれになるぞ、なんて考えてる奴はそうはいないだろ」
志月は、何故篠舞がクラスの中で浮き立とうが嫌がらせを受けようが飄々と受け流す事出来るのか、解った。
彼女にはそんな瑣末な事を気にしている時間が無いのだ。
集団に溶け込む為に興味の無い流行ごとを研究する暇があるくらいなら、その時間で必要な単語の一つでも覚えた方が遥かに有意義なのだ。
下らない誹謗や中傷に心を悩ませる余裕があるなら、目的地の慣習を理解する事の方が、彼女にとっては肝要なのだ。
明確な目的意識を持って日々を過ごしているから、彼女は卑屈にならず真っ直ぐ顔を上げていられたのだ。
志月は少し篠舞が羨ましくなった。
志月の家は、東条財閥と言う明治維新の頃から財界の実力者として君臨してきた名家だ。
幸い、上に兄がいてくれたので、後継者という一番ややこしい椅子には座らないで済んだ。
しかし志月も、財閥内を身内で固めるために系列会社へ放り込まれる事は必至だった。
その後、縁談の駒として使われる事も、決まっている様なものだ。
志月には自分で選び取る未来と言うものが、全く無い。
その事に全く反発を覚えないではなかったが、ある程度納得はしていた。
その中で、親の勧めた私立高校よりランク上の都立高校に進学した事は、唯一にしてささやかな抵抗だった。
だから、何もかも自分で選び取り、前に進んで行ける篠舞が少し羨ましく思えた。
「どうしたの?」
急に志月が黙りこくってしまったので、篠舞は怪訝な顔をして志月の顔の前に手を振って見せた。
「あっ、ごめん」
そのとき、予鈴が鳴った。
「もうそんな時間か。じゃ、また後でね。 笑わないで聞いてくれて、ありがとう」
そう言って篠舞は自分の席に戻って行った。
女子に対して不適当な形容かもしれないが、志月はその後姿が爽快だと思った。