12月22日 ― 忍 ―

scene.1

 いつもどおり授業を終え、忍は帰宅した。
「……?」
 玄関先に、見憶えの無い靴があった。
(誰…?)
 この家に、来客はほとんど無かった。
 何故か昔から彼はこの家に人を入れたがらなかった。
 薄々、自分の所為なのではないかと、忍は感じていた。
 あまり、彼の知人の目に触れてはいけないのではないかと、感じていた。
 書斎の前に立つと、細く開いたドアの隙間から話し声が洩れ聞こえた。
 やはり、来客の様だ。
(どうしよう…)
 一瞬、声を掛けたものかどうか、忍は躊躇った。
「お帰り」
 迷っていると、先に中から声を掛けられてしまった。
 そっとドアを開ける。
「ただいま…」
 忍が中に入ると、志月とそう年の変わらない男性が一人、来客用のソファに座っていた。
「どうも、お邪魔してます」
 客人は立ち上がり、忍に向かって挨拶をしようとした。
 しかし、彼は一礼しようとして、その姿勢のまま固まってしまった。
 忍の顔を見て、彼は随分驚いている様だった。
「あの…?」
 怪訝に思い、忍は彼に声を掛けた。
 しかし、彼は呆然としたまま答えなかった。
「……おい、志月」
 やがて、何か問いたげに志月の方へ顔を向けた。
「何だ?」
 しかし、志月の方は涼しい顔で客人の顔を見返した。
「あ…いや…、お前の他に、人が住んでるとは、思わなかったから…驚いただけだ。スマン」
 まだ何か問いたい事がある様子だったが、一度忍に視線を向け、その後黙ってしまった。
「……?」
 二人の様子に、忍もまた訝しさを感じた。
(何だろう…。この人、何を言いかけたんだろう?)
 忍は首を捻った。
 すると、今度は志月に手招かれた。
 忍は肩を掴まれ、客人の前に押し出されてしまった。
「うちで引き取って、今一緒に住んでる」
 どうもこれは、自己紹介を迫られている様だ。
「あ…の、東条忍です」
 戸惑いながら忍は客人に名乗った。
「え……」
 すると、相手は訝しげな顔で忍を凝視した。
(…何だ? この人)
 さすがに、少し失礼なのでは? と思わずにいられなかった。
「忍、コイツは高校時代の友人で、宏幸だ。今日は仕事の為に来てる。
 これからちょくちょく家に来ると思うから、その時は応対頼む」
「あ、うん…」
 忍は頷きながら、彼の口から聞く"友達"という言葉に違和感を感じていた。
(友人…?)
 友人と呼ばれた客人の顔を、忍は改めて見上げた。
 ネクタイを締めた背広姿。
 脇に置かれたビジネスバッグ。
 堅実そうな雰囲気。
 何処か現実感の欠落した志月とは、まるで正反対のタイプに見える。
(この人が…友達?)
 二人は最も縁遠い人種の様に思えた。
「どうも、川島宏幸です。…宜しく」
 川島宏幸と名乗った客人は、すっかり狐に抓まれた様な顔で、未だに忍の顔を見ている。
(変な人だな…)
 あまりにも見られ過ぎて居心地が悪かったので、忍は退席する理由を作る事にした。
「お茶、淹れてくる」
「ああ、そう言えば…」
 見れば、応接セットのテーブルには何も載っていない。
「お前、客じゃないからな」
 ぽつ、と志月が客人に向かって呟いた。
「あ、そういうこと言うか!? せっかく仕事持ってきたのに!」
 それに対する、川島宏幸とやらの反応は早かった。
(この二人、ちょっと…あの二人みたいだな)
 先日街で居合わせた上級生、北尾とその友人の遣り取りを思い出す。
 そういう呼吸を持ち合わせているのだから、やはり二人は友達なのだろう。
「じゃ、行ってくる」
 小さく言い残して、忍は書斎を出た。
 その直後、閉じたドアの向こうから、川島氏が何か志月に向かって問い詰めている様な声が、微かに聞こえた。
"今のは誰なんだ!?"
 その言葉だけが、はっきり忍の耳に届いた。
("誰だ"? 俺は、名乗ったはずだ)
 そして、忍は気付いた。
 彼は  川島宏幸は、この顔を知っている。
 この顔の持ち主を、知っている。
(高校時代からの友人…か)
 さっき、彼が物言いたげにしながらその言葉を飲み込んだのは、忍に聞かせない為だった様だ。
(俺が"誰"なのか? そんなもの…俺が一番知りたいよ)
 途方に暮れた気持ちになりながら、忍は厨房に向かい、階段を下りた。


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