scene.1 3時間前
夏、真っ只中。
運ばれてくるのは、熱中症、溺水、急性アルコール中毒etc...
出掛ける人間が増えれば、それだけ事故も増え、外傷者もまた然り。
野戦病院さながらとはよく言ったもので、待合室からICUまで、重症者から軽症者から入り乱れてとひしめくその場所は、平和なはずの現代日本の日常としては到底馴染まない光景であった。
「終わった〜っ」
今日だけで一体何枚使ったか数えられない、使い捨てのエプロンをはぎとり、要は溜息を吐いた。
朝から来るわ来るわ、千客万来である。
「あ、遠藤。背中に血付いてるぞ」
同じくようやく一息吐いた七海が、手袋を着けたまま、要の術衣の裾を引っ張った。
「えー!? さっき替えたばっかですよーっ! しかも、今朝届いた新品!」
ナイロンのエプロンで前は防護出来ているが、割烹着と似た作りのそれは、背後は完ぺきではない。
「新しいのを下すと、必ず外傷患者が運ばれてくるんだよな。救急って」
シニカルに笑って、七海が肩を竦めた。
「お前ら、もうそろそろ落ち着いてきたし、上がっていいぞ」
別の患者の処置に当たっていた医局長が、ようやく日直終わりの合図に現れた。
現在、夜の9時である。
「じゃ、お言葉に甘えて帰らせてもらいましょうか。全く、今日は午前中がひどかったですね。普段は夜中の方が忙しいのに…」
そう言って七海は、大きな溜息を吐いた。
「まあまあ。お前に、救急の神様からのバースディ・プレゼントだろ? 『天職だぞ、励めよ』ってな」
揶揄い口調で、医局長が七海の肩を叩く。
「要りませんよ! こんなプレゼント!!」
七海が憤然と言った。
「まあまあまあ。本日残り3時間、有意義な誕生日を過ごしてくれ」
部下の憤懣を愉しげにかわし、医局長が放った一言。
一言…。
一言……。
一言………?
「えええっ!? なな…っ…常盤木先生、今日が誕生日なんですか!?」
頭上からナパームの雨が降ってきたような爆弾発言だ。
ここで、核攻撃と思わなかったのは、マイナスな内容ではなかったからだが、わざわざ当日が終わる3時間前に教えてくれてしまうところが、ナパーム爆弾クラスのショックだった。
こんな時間に知らされても、今更何も用意できないではないか。
「あれ? 知らなかったっけ?」
「初耳ですよ!」
「おいおいおい、ちゃんと宣伝しとかないと祝ってもらえねぇぞ?」
ますます茶化しにかかっている医局長が、心から憎い。
絶対、わざと言わなかった。
いや、このタイミングに言った事がわざとか。
(メッツェン…いや、抜糸剪のほうが鋭いな…いやいや、ハサミ系より、いっそ電気メスか、除細動器…)
要は周囲に凶器が残っていないか、一瞬本気で探してしまった。
相変わらず人が悪い上司を恨めしげに睨む。
「そんなことより、早く帰らないと残り僅かな誕生日が急患で潰れるぞ」
要の殺意を知らずか むしろ、分かっているからこそか、医局長がにやっと笑った。
「それもそうですね。帰ろうか、遠藤。日付が変わったら、また怒涛の深夜外来が始まるし」
七海の方はまるで意に介していない様子で、さっさと処置室の出口へ向かっている。
要は慌ててその後ろを追った。
病院の通用門を出た途端、七海が大きく背中を伸ばし、溜息を吐いた。
「毎年の事ながら、殺伐とした誕生日だ…今年こそと思ってたのに」
珍しくぼやき口調の七海の顔を、要が覗き込む。
「今年こそって、何がです?」
「何故か、僕の誕生日は搬送が多いんだよ。しかも、ヤバイのばっか。オフにしてても、人手が足りなくなって呼び出されるのが何年か続いたんで、最近は敢えて勤務を入れるようにしてたんだ。今年は日直で、通常外来の空いてる時間だから大丈夫かなー、とか、希望的観測をしてたんだけどね…。まさか、それまでも狙い撃ちされるとは…お祓いでも行った方がいいのかなぁ」
やや真面目な顔で七海が言った。
そのくらい、今日の日直は、記録的な搬送件数だったのだ。
しかし、その一言で要はある事を思い付いた。
実は、この僅かな残り時間で、七海の誕生日をどう祝おうか考えていたのだが、一つ案が浮かんだ。
「あの、しんどくなければ、俺んちの方に来ませんか? 今日、地元の神社が夏祭りなんです。お祓いほどの効果があるかどうか分かりませんけど、縁起担ぎくらいにはなるんじゃないですかね」
「へえ…夏祭り。そう言えば、東京に出て来てから、そういうの行った事ないな。うん…、いいかもな、夏祭り。」
満更興味が無い訳でもない様子で、七海が言った。
「そんなものすごい大きな祭りではないんですけど…じゃあ、行きましょうか」
要は駅に向かって歩き始めた。
その後を、七海が追う。
いつもと反対だ。