Recollection.18 無限の自由
気が付けば車はもう病院の側だ。
「明人、車停めて。ここで良い。病院の前まで行くと目立つから」
鮮やかなコールドブルーのスポーツカー。
こんな車で早朝に病院の玄関につけられた日には
考えるだけで恐ろしい。
「ん、分かった。じゃ、そこの路肩に停めるわ」
明人は、住宅街の真ん中にぽつんとある児童公園の脇に車を停めた。
幸い、生い茂った植樹の陰にすっぽり収まり、この派手な車もあまり目立たない。
(ここからなら、病院まで歩きでも10分はかからないな)
七海はシートベルトを外した。
「ありがとう。それで、 」
『悪いんだけどやっぱり時間的にきついから、モデルの件、これで終わりにして欲しいんだ』
七海がその言葉を口にしようとした瞬間、たった今シートベルトを外した腕を掴まれ、強い力で引き寄せられた。
そして、抗議するより先に口唇に噛み付かれた。
いや、それはおそらくキスだったのだろうが、あまりにも荒っぽかったので、噛み付かれた、と思ってしまった。
「な…に、すんだよ!」
こんな、職場の目と鼻の先で。
「アイサツ」
「はぁ!?」
(人の舌に噛み付くのを、お前は挨拶と言い切るのか!)
心の中ではいくらでも文句が出てくるのだが、それを音にする事が出来なかった。
「で こっちは、シルシ」
そう言って明人は、未だ掴んだままの七海の手首に口唇を寄せる。
「痛っ!」
今度こそ、本当に噛まれた。
七海は、慌てて明人の腕を振り払い、車から飛び降りた。
赤黒い痕がくっきり付いている。
(何を )
それは、犬歯の形に凹んでいた。
「また、触らせてくれる?」
明人が笑った。
背筋に何かが走った。
髪を? それとも
紅潮する七海の頬。
それを見て、彼は満足げな顔をした。
「また、後で連絡するねー。バイバイ」
そして、七海の返事も聞かず、明人の車は発進してしまった。
「あ……」
七海は、走り去る車を呆然と見送るばかりだった。
(どうしよう)
断り損なってしまった。
(また、会うのか?)
次、会ったら、
多分、危ない。
嫌だと思わなかった自分を、見つけてしまった。
期待している自分を見つけてしまった。
破滅型のこの男に、どこか惹かれている自分に気付いてしまった。
心のどこかで、閉塞した日常から解放されたがっている自分が、
あらゆるくびきを切り落とした彼に共鳴したがっている。
宇宙船に乗って、どこか遠い星へ行ける自分。
一瞬、
無限の自由が、そこに拓けているような気がした。