Recollection.17 Smoke on the pride
渋滞に引っ掛かることも無く、車は順調に都心へ向かっていた。
「実際、黙っててくれると助かるわ。ホラ、内輪のことだからオオゴトにしたくねぇし。相手だって将来あるんだしさ。カワイソウじゃん? なんか、こんなことで経歴にキズが付いたらさ」
もう何本目になるのか分からない煙草を揉み消した明人は、もういつもの軽口に戻っていた。
「…人が好いんだな」
七海がそう応えたのは、ほとんど皮肉だ。
刺されて、それでも相手を庇うのは、どれだけお人好しなのか。
それとも、
「それほどでもないよ」
彼自身にも責められるべき何かがあるのか。
「何で、そんな刃傷沙汰に?」
何となく、この男が刺される理由と言えば想像が付かないでもないが。
「まぁ、一口に言うと痴情のもつれ…かねぇ?」
明人は切れ間無く煙草を吸いながら、七海の問いに答えた。
(やっぱりな……)
そういうトラブルを起こしそうなタイプだ。
その時ふと、昨夜の彼の呟いた言葉が七海の頭を掠めた。
『今度は絶対モデルには手ェ付けない、って誓ったつもりだったのにな』
その後、モメたばかり、とも。
もしかして
「その痴話ゲンカの相手って…逃げたとか言う、モデルなのか?」
明人が驚いた顔で七海を振り返った。
「前っ! 前見て!!」
運転中だ。
「何で、分かんの?」
「何となく。昨日、それっぽいこと、少し洩らしてたし」
「…そうだっけ?」
「まあ…ね」
暗闇の中で、微かに洩れ聴こえた呟きだ。
現実か、と問われれば自信はあまり無いけれど。
「そっか」
明人は、自嘲するように喉を鳴らせて笑った。
どうやら、夢で聞いた訳では無かったようだ。
要するに明人は、七海にしたのと同じ事を、前のモデルにもしているのだ。
(何て節操の無い…)
七海は額を押さえた。
そんな七海を他所に、明人は話を続けた。
「何て言うのかな…。俺、ダメなんだよね。相手を好きでないとイメージも湧かなくてさ。だから、いつも好みで選んで連れてくるんだけど…やっぱ好きだったら、ヤリたくなるでしょ、フツーに。健康な男子としては。目の前にいる訳だし」
(その法則は、同性相手でも当てはまる訳ですか…)
いや、そこで問題になるのは、相手が同姓か異性かではないだろう。
明人の言葉に、七海の頭がみしみし痛んだ。
「…ただ、前の子の場合、逆パターンなんだけどさ」
「逆?」
「自分で声掛けたんじゃなくて、店で掛けた募集に応募してくれた子の一人でね。まぁ、割り当てっての? 店長にも、たまには好み抜きでやってみろとか言われっしさ。
まあ、俺の悪行は店内で結構知れ渡ってっから、店長としてもここらで真面目に…ってなもんだったんだろうけど。 でも、やっぱ結局何も浮かばなくて…」
「それで?」
「仕方ないから、好きになってみることにした」
「は?」
「わざとでも何でも、好きになってみたら、何かイメージ湧くかと思って」
そんな訳あるか。
呆れて言葉も出ない。
一体どういう脳の構造をしているのだろう。
是非一度開頭させていただきたいものだ。
七海は心の中で目一杯毒付いた。
そして、
「僕は、そういう感情がどうも希薄みたいで、よく分からないけど 思い込みで人って好きになれるものなのか?」
ぴりぴりするこめかみを強く押さえながら、投げやりな質問をしてみた。
「いやー、ムリだったんだわ、これが。もう全然。で、やっぱムリってことでお断り入れたら、まあ、この通り」
明人が刺された左腕を指し示した。
(それはもちろん、することした後ですよね)
訊くだけ無駄の質問を、心の中で呟いた。
答えは聞く前に分かっている。
(そりゃ、刺されてもおかしくないよ…)
七海は大きな溜息を吐いた。
しかし、その相手は異性なのだろうか。
それとも、同性なのだろうか。
あまりのことに七海が返す言葉を失っていると、明人は勝手に続きを喋り始めた。
「俺、追っかけるタイプなのね。だから、追われるともうダメ。何が失敗って、向こうが先に盛り上がっちゃったトコ。
俺がハマった後だったら案外イケたと思うんだけどなぁ。寂しがり屋さんだから、ハマっちゃうと毎日会いたい派だし」
蹴っていいかな。
運転中だけど。
七海は運転席をウンザリした目で眺めた。
確かに、これで訴えられたら相手も気の毒だ。
しかし、諸々の謎がやっと繋がった。
あれだけの出血に救急車も呼ばず、明人が自分で運転してきた理由。
待合室で騒ぎもせずに待っていた理由。
警察沙汰にしたくなかったからだ。
「ま、仕方ないんだよね。俺が実家出た主な理由って、これだから」
「は…?」
いきなり何の話だ。
「俺、別に恋愛対象って男女どっちでもいいんだけどね、どっちかってと男の比率のが高いの。それが親にバレてさぁ、そりゃもう、大ゲンカよ。
大の男が取っ組み合いでケンカしたね。出ていけ! 出て行く! みたいな。危くコッチの病院放り込まれそうになったんで、こりゃヤバイ!
と思って逃げてきたんだよな」
コッチ、と言って彼は自分の頭を指し示した。
相変わらず軽い口調だった。
その内容は不釣合いに重かったけれど。
(昨日、チラっと言ってたのはこの事か)
そう言えば、昨夜髪を切りながら、実家を離れた理由について微妙な事を話していた気がする。
「で、ま それ以来開き直っちゃって、こっち出てきてからは結構手当たり次第だった時期もあったかな」
今も手当たり次第なのでは?
(つか、そもそも『手当たり次第』って言うのと、セクシュアルマイノリティの話をくっつけて話していいのか…?)
七海は喉もとまで出掛かった台詞を辛うじて飲み込んだ。
この男は、滅茶苦茶だ。
言ってる事も、やってる事も。
(やっぱりこれ以上関わらないようにしよう。申し訳ないけど、モデルも断ろう)
このまま関わっていたら、本当に呑まれてしまう。
今なら、まだ間に合う。
引き返すことが出来る。
殺意。
それを受け止めて、尚、平然と開き直る男。
そんなもの、今の自分の手に負えるものではない。
七海は、視線を明人から反対側の窓に移した。
そして、未だ微かに身体に残る熱を、故意に意識の底へ沈めた。