3.桜川病院/職員食堂  12月17日 AM11:45

 古賀雄介の問診を終えた綿貫に、昼食に誘われた。
 午後からは何とか人員が確保出来たらしく、無事解放された要は既に自由の身である。
 なので、特に断る理由も無く、彼の誘いを受ける事にした。
 いや、素直に本音を言うならば、個人的に七海に親しいと言うこの人物に興味があった。
「遠藤先生は、2年目?」
 窓際の席に腰を下ろし、一呼吸置いて綿貫が言った。
「あ、はい」
「じゃあ、次年度は正式に医局員ですね。
 大学病院の医局に?
 それとも、どこかよそを希望しているんですか?」
 コーヒーは苦手なのだと言った綿貫の手には、ココアの紙コップ。
 甘ったるい匂いが要の鼻先をくすぐる。
「大学の医局に残るつもりです」
「救急部ですか?」
 つい半月前までなら、ただ是と答えた質問だった。
 しかし今はそう単純でもなくなってしまった。
 教授から、外科医局の話が入ってきたから。
「最終的には  そうなればいいとは、考えてます」
「……。
 そうですか」
 要の答えに綿貫は一瞬意外そうな目の色を見せたが、すぐに消えた。
 彼が意外に感じたのは、要が救急を志望していると言ったからか。
 それとも、それが今すぐの志望ではないと言うニュアンスだったからか。
「意外ですか?」
 気になって、要は彼に対して反対に問い返してみた。
「いえ……。
 この時期に残ってるから、てっきりER志望なんだと思っていだけです。
 早とちりでしたね、すみません」
 初期研修の残り数ヶ月と言うのは、大体その後希望する科の研修にあてることが多い。
 だから、研修終盤のこの時期に残っている要の事を、彼は救急志望だと考えたのだろう。
「最初はそのつもりだったんですが…その後色々ご提案頂きまして、今は未定なんです」
 来年度どこに入局するのか  
 ここ最近の目下の問題であり、また、七海との関係をギクシャクさせている要因である。
「さしずめ、教授方とか…お偉方の提案というところ  ですか?」
「はい  まあ、そんなところです」
 志望先の当の救急部長によそを奨められてしまったら、これは抗し難い。
 察しがついたらしい綿貫が、小さく肩を竦めた。
「医局人事は俺たちにもどうしようも無い部分も多いですけど  遠藤先生がいなくなってしまったら、七海先輩は寂しいでしょうね」
 そこで、ぽつんと彼が呟いたのは、思いがけない一言。
「寂しい、ですかね?」
 思わず、要は綿貫の目を覗き込んでしまった。
 その会話の、思わぬ方向性に気付かないまま。
「寂しい  と、思いますよ?」
 小さく笑って、彼は答えた。
「…ですかね」
 再度、確認してしまう、自分。
「はい。と、思います」
 微笑みが、微かな苦笑に変わる。
「即答ですね」
「七海先輩とは、つきあい長いですから。
 俺の知る限り、あの人は気を遣う相手と仕事以外では長期間過ごせないタイプです」
「あ、それは確かに。
  って、あれ??」
 仕事以外。
(今のニュアンスって  
 気付いたら、それは医局人としての会話ではなくなっているような。
「あの…綿貫先生、まさかと思いますが  
 その事に、やっと気付いた。
 要は改めて綿貫に向き直る。
「ええ、はい…知ってます。
 と言うか、今引っ掛けました。すみません」
 答えた綿貫は、バツの悪そうな苦笑。
 作り物の様に綺麗な面から、垣間見えた人間の顔。
「マジで…っ!?」
 思わず声が高くなった。
 慌てて周囲を見渡す。
「直接、本人からは何も。
 ただ、今回の件で電話貰った時に  その……」
 彼はそこで少し言い淀んだ。
「その?」
「やたら、牽制してくるので……」
「け、牽制??」
 何を。
 と、言いかけて、ふと思い出した。

  『浮気すんなよ』

(あれか)
 要は思わずこめかみを押さえた。
「…七海先輩、分かりやすい人だから。
 何かにつけて面倒くさがりなあの人が、研修医の指導についてると聞いて、もしかして、って思って  
 不愉快な思いをさせたら、申し訳ないです」
 そう言って、彼は小さく頭を下げた。
(医局長も言ってたっけ…顔に出過ぎだって)
 そもそも、七海自身は隠しているつもりも無いと言っていたのも、思い出した。
 誰に恥じる事も無い。
 わざわざ言いふらす事も無い。
 周囲に迷惑を掛けない範囲で、自然体でいればいい。
 全く、実に彼らしい。
「いえ、気にしません。俺は」
 彼が気にしないのなら、要にも気にする理由は無い。
「良かった」
 しみじみと綿貫が息を吐いた。
 そして、続けた。
「何て言うか、可愛い人ですよね? 七海先輩」
「えっ?」
 突然何を言い出すのか、この人は。
「可愛くないですか」
 しかし、本人は至って大真面目のようだ。
「いえ、あの」
「可愛いでしょう」
 要が答えに詰まっていると、綿貫は真顔で詰め寄り、更に繰り返した。
「可愛い、です」
「遠藤先生も、素直ですね」
 とうとう陥落した要に、綿貫がおかしそうに笑う。
「嬉しくないっすよ…」
 素直は、単純とか単細胞とも置き換えが利くのだ。
 医局長といい、教授といい、このところこんな事ばかり言われている。
(いや…唯一、七海さんには  

   冷たい と 言われた……

 凹みかけた瞬間、綿貫が再び口を開いた。
「実は、すごく気になってたんです。七海先輩の新しい恋人」
「こ…っ!」
 あまりにもストレートな単語に、コーヒーカップを落としそうになる。
「よかったです。
 遠藤先生が良さそうな人で」
 要の動揺する様も微笑ましげに、綿貫がココアに口をつけた。
「良さ…っ!」
 いや、嬉しいけれども。
 親しい人物からのその評価、嬉しいけれども。
「あの、揶揄ってる訳じゃないんですよ?
 ……気を悪く、してしまいました?」
「あ、いえ、そんな事は!」
 慌てて手を振る。
「良かった。
 本当に、良い人だ」
 心底安堵した声だった。
「え?」
「七海先輩とは、付き合い長いって言ったでしょう?
 だからあの人の欠点もよく分かるって言うか  
 ああ、欠点と言うよりは弱点…いや、悪い癖…かな」
「悪い…癖?」
「不器用な人でしょう?
 口で説明する事が下手で、だから、何でも身体で確かめようとする。
 仕事でも  それ以外でもね」
 三たびカップを落としそうになった。
 しかし、それには幾つか心当たりがある。
 いつぞや、麻酔科の小沢は、七海の私生活が一時期荒れていたと言っていた事がある。
 詳しく訊ねようとしたが、傍で聞いていた医局長に会話を遮られ、そのままになったのだ。
(今思えば、医局長は色々知ってて止めたんだな…)
 そして、何より  
(一番知ってるのは、俺自身  か)
 付き合い始めたきっかけこそが、事実。
 元を正せば、なし崩しに始まった関係。
 一時期は、七海の本意が分からず随分悩んだ事を思い出した。
「無条件に大事にされるって事を知らない。
 あの人にとって、愛情と言うのは何かの対価なんです。
 自分は身体を張ってでも相手を守ろうとするのに、自分がそうされる事には不慣れなんですよ」
 不思議ですよね、と綿貫は小さく苦笑した。
「で、俺は合格したって事ですか?」
 要は溜息を吐いた。
「いいえ、合格だなんて  決してそんなつもりではなくて…。
 でも…失礼な事たくさん言ってしまいましたよね。
 ちょっと職業病気味なのかも……すみませんでした」
 真摯な表情で、綿貫が頭を下げた。

 でも、それは。
(七海さんの事、気に掛けてるから)
 それでは、要は怒れない。
 近しい場所にいる者へ、多少の嫉妬は感じたとしても。

「本当に良い人だな、遠藤先生」
 綿貫がクスと笑った。
「よくそう言われるんですけど、こう見えて常磐城先生専用のつもりなんですよ」
 誰も彼もにいい格好がしたい訳ではない。
 七海に認められたいだけなのだ。
「その調子、その調子。
 たまには無条件に大事にされるって事を教えてあげて下さい」
 綿貫が、愉しげに笑って頷く。
 そして、少し口許を引き締めて言葉を続けた。
「七海先輩の悪い癖は、ある種のアディクションです。
 今回の患者、古賀雄介とも関連しています。
 要観察  ですよ、遠藤先生」
「アディ…??」
(何だって?)
 耳慣れない単語だったため、はっきり聴き取る事が出来なかった。
 もう一度聞き返そうとしたら、その前に彼は院内PHSの通話ボタンを押していた。
「七海先輩? 綿貫です。
 今、遠藤先生と職食で昼食を摂ってるんですが、そちらが一段落つくようなら、ご一緒に如何ですか?」
 その会話から、腕時計に目を落としてみると、時刻は12時半だった。
 思いのほか、長い時間話していたようだ。
「七海先輩、もう少ししたら来られるらしいですよ。待ちましょうか」
 10分後、やや疲れた顔の七海が合流し、この話題は途切れた。


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+++ 目 次 +++

Scene.3 空 想 科 学

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+++ 目次 +++ 

    本編
  1. 嘘の周波数
  2. Ancient times
    夏祭り SS
  3. 抗体反応
    After&sweet cakes SS
  4. 依存症 [連載中]
    自殺企図
    渡辺教授
    ⅲ空想科学
    scene.1
    scene.2
    scene.3
    scene.4
    scene.5
    疑似科学
    幻覚肥大
    共鳴振動 NEW!
    番外編
  1. 真実の位相
  2. 二重螺旋
    企画短編
  1. 50000Hit記念
    Stalemate!? [完結]

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