scene.12 暮空
守衛室の前を通り、建物を出ると、外は緩やかに暗くなりつつあった。
山吹色の裾から伸び上がる群青色のグラデーション。
風は生温かった。
職員用の通用門から後ろを振り返ると、建物の真ん中に、ちょうどERの医局が見える。
窓枠に、七海はもう座っていなかった。
今頃、溜まりに溜まった報告書を書いているのだろうか。
「さて、行くか」
とりあえず、遠回しに出入り自由の許可を貰った、七海の部屋へ向かう。
門扉をくぐると、その横に人影を見つけた。
「お疲れ様でした」
切れの好い動作で申し分の無い礼をしたのは、朝日ゆかりだった。
「朝日さん? 一瞬分からなかった。実習中はずっと制服だったから」
実習中の制服は、立襟の白衣と白いスラックス姿だったが、今は柔らかい色のロングスカート姿だ。
病院にいる間はアップにしていた髪も、今は下している。
「普段制服姿ばかり見てる人の私服姿って、あまり想像できないですよね」
そう言って彼女は笑った。
「どうしたの、こんなところで。忘れ物でもした?」
朝日がERを退室してから、ゆうに30分くらは経っている。
「いえ……。あの、遠藤先生、お話したいことがあるんですが、ちょっとだけお時間ありますか」
意を決したように、彼女はまっすぐ要の顔を見据えた。
「俺? …いや、まぁ、あるけど」
どうせ今マンションに行っても、七海はしばらく帰ってこない。
「じゃあ、少しだけお話したいんですけど、いいですか?」
真剣な顔だった。
それは、仕事中と同じくらいに、真剣な顔だ。
「いいよ」
とりあえず、時間があると答えた手前、やはりそこはYesと答えざるを得ないだろう。
「ありがとうございます!」
朝日は、ふかぶかと頭を下げた。
「話…聞くにも、ここじゃなんだし、喫茶店でも入った方が良いのかな」
「あ…そうですね。どこかありますか?」
「そうだなぁ、この辺飲み屋ばっかりだから…。ああ、そう言えば駅の反対側に一軒あった気がするな。ちょっと歩くけど」
以前、非常勤の医師に連れて行ってもらった古い喫茶店を思い出した。
学生がたむろしてガヤガヤうるさいファミリーレストランよりは、話をするのに適しているだろう。
「じゃあ、そこでいいです」
朝日が要の隣に並んだ。
(お? 今更だけど…背高いな、この子)
要の身長は187cmだ。
だから、大概の女の子は、隣に並ぶと旋毛くらいしか見えない。
実習中は並ぶ機会もそう無かったので全く気付かなかったが、要から辛うじて顔が見える朝日は、170cmはありそうだ。
そう思って思い出してみれば、七海と並んでそれほど身長に差が無かった気がする。
(それにしても、話って一体何なんだ?)
首を捻りつつ、要は喫茶店に向かって歩き始めた。
凪の時刻過ぎた町は、涼やかな風が吹き始めていた。