scene.4 理不尽な客人

 滅多に鳴らないインターフォンに驚いたのか、要の腕の中で七海の身体がびくっと跳ねた。
「な…何? てか、誰?」
 狼狽した様子で、七海はインターフォンのところまで移動すると、その応答ボタンを押した。
「どなたですか?」
 防犯モニタの付いたそれに映し出されているのは、朝日ゆかりの姿だった。
『あの…、朝日です。先生、やっぱりもう少しいいですか?』
 彼女は、思いつめた顔をしてエントランスに立っていた。
 七海の後ろからモニタを覗きながら、要は朝日の顔を見た。
(ここまでくると…ちょっと、異常…だよな?)
 彼女の行動は、もはや熱心の域を超えているような気がする。
「………」
 七海もこれにはさすがに開いた口が塞がらなくなったようだ。
 返事に窮して、言葉を失ってしまっている。
『あの…だめ、ですか…?』
 朝日は顔を伏せて肩を落とした。
「どうしよう…?」
 七海が困惑した顔で要を振り返った。
「え、いや…どうします?」
 これはさすがに、訊かれても困る。
 しかし、朝日は誰に七海の自宅を聞いたのだろうか。
 と言うか、そもそも家まで来る自体がすごい。
(ツワモノだな…)
 さしもの要も、付き合い始める前は自宅にまで押しかけようと考えた事などなかった。
「うー………………ん。
 …………どうしたものかなぁ……」
 天井を仰いで、七海が大きく息を吐いた。
 迷っているということは、受け入れてやる心積もりがあるということだ。
 ただ、先に自分を自宅に呼んでしまったから、困っているのだろう。
「仕方ないです…よね。短い実習期間、有効に使いたい気持ちは…分かりますし」
 自分が医学生だった頃のなおざりな実習を思い出すに、ここは自分が引くべきなのだろう。
 諦めて要は自分の鞄を肩に掛けた。
「…悪い。
 明日が当初のシフト通り当直だけなら、夜、食事だけでもって言えるんだけど、朝日の24時間実習に合わせて、日直通し当直なんだよな」
 本当に申し訳無さそうな顔で、七海が手を合わせた。
「実習終わったら、またゆっくり会いましょう」
 ここが懐の深さの見せ所と自分に言い聞かせながら、精一杯普通の笑顔で七海の部屋を後にした。
 11階まで上がってきたエレベーターから、朝日ゆかりが降りてきた。
「あ、お疲れ。常盤木先生、部屋で待ってるよ」
 要から声を掛けた。
 あまり関わりが無いとは言え、一応顔は知っているし、無視するのも不自然だと思ったからだ。
 普通のご挨拶のつもりが、彼女の反応は予想外のものだった。
「遠藤先生…? 何で先生がここにいるんですか!?」
 ものすごい形相で睨まれ、今にも噛み付いてきそうな勢いで怒鳴られた。
「何でって…その」
 あまりの剣幕に、返す言葉を失ってしまった。
「いくら指導医だって言って、ズルイです…!!」
 そう怒鳴りつけると、彼女は七海の部屋の方へ走り去っていった。
「は…? 何だって?」
 ズルイ、と言われた。
「はああああ?!」
 何故そんな事を言われねばならないのか。
 今だって、やっと確保した時間を朝日に譲ったのだ。
 七海の部屋に吸い込まれる小さな背中を凝視する。
「ズルイのはどっちだ!?」
 学生の特権とばかりに指導教官を独占しているのは誰なのか。
 走り去った実習生の理不尽な言葉に、要は憤りを感じずにいられなかった。


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