scene.4 急患
今日の当直は比較的患者も少なく、緊急性の高い患者も無かった。
ここでは基本的に、二次救急までの患者の受け入れと、手術を伴う三次救急の領域に入る患者の受け入れ窓口を分けている為、一般的な夜間救急外来の様な混み方はしない。
夕方の申し送りで引き継がれた患者も、比較的軽症者ばかりで、医局の中は何となく倦怠ムードが漂っていた。
今のうちに仮眠をとる者、食事をとる者、皆思い思いに休憩している。
(変に暇だと考えない方が良い事を考えてしまうよな…)
医局長から二人で話し合うように通達された事で、全ては明日の当直明けまで持ち越しになったのだ。
今は、雑念を振り払わなければいけない。
「なぁ、研修医」
向かいのデスクでクロスワードパズルと格闘している七海が、目線を合わさないまま声を掛けてきた。
「あ、はい。なんすか」
要もまた、まるで読み進まない本に目線を落としたまま返事した。
「お前、何か今日、出てきてからずっとおかしいよな。もしかして、僕の所為…なのか?」
淡々とした声だった。
言葉の外には、『部屋を出る時には普通だったのに』という言葉が見え隠れしていた。
「疲れ過ぎて、寝れなかったからですよ」
適当な返事をした。
どの道、ここで話せる様な内容ではないし、今はそういう風に答えるしか出来なかった。
「あ、そう」
七海も、それ以上は何も言わなかった。
そもそも、幾ら休憩中とは言え、普段の彼なら勤務中にこんな話を振ったりしない。
(俺の所為…だよな)
要は、ますます自己嫌悪に陥った。
その時だった。
『消防センターより入電です!』
スピーカーのスイッチが入った。
「繋いで!」
弾かれた様に七海が立ち上がる。
『二十代男性、全身を殴打され、意識不明。外傷からの出血量はおよそ200cc程度ですが、全身打撲の為、ショックの危険性大! 受け入れは可能ですか?』
スピーカーから、救急隊員の逼迫した声が入ってきた。
「桜川救命救急室、受け入れ可能です。何分で到着できますか?」
『到着までおよそ五分です!』
到着予測時間を告げ、スピーカーのスイッチは落ちた。
「全集! 患者は二十代の男性、ショックが出掛かってる。
輸液ルート確保して生理食塩水入れて。出血量によってはブドウ糖じゃ血漿量を維持出来ないから。
除細動器スタンバイしとけよ。それと、エピネフリン詰めといて。心肺停止状態で搬送されてくるかもしれないぞ」
七海の声に、要以外のスタッフが散開する。
窓の外で、回転灯が赤い光を捲きながら救急車が近づいてくるのが見えた。
「研修医、念の為に麻酔医とオペ看にいつでも動けるように声掛けといて。 その後お前はCT室の準備だ」
要の仕事は、緊急手術になった時の為のスタッフを掴まえておく事だ。
しかし、彼らは要が呼びに行くより早くERに現れた。
「よぉ、研修医君。喫煙所の窓から見えたカンジじゃ、少なくともME操作は必要っぽいねぇ」
麻酔医の小沢が、のほほんとした口調で言った。
夜間は、日勤帯に比べて常駐スタッフが遥かに少ない。
総称してME機器と呼ばれている医療用電子機器も、本来なら専門のエンジニアがつくのだが、夜間救急の時間になると退勤してしまっているので、麻酔医の小沢が兼任している。
小沢は、医師免許と合わせて、臨床工学技士の資格も持っている。
本人曰く、工学は趣味だそうだ。
「小沢センセ、研修中の新人さんの前で、緊迫感の無い態度は止めてくださいね。学習状好ましくないですよ」
小沢とほぼ同時に入室してきたのが、手術専門看護師 オペ看の田島だ。
彼女は小沢に比べると、動きのとてもきびきびした人物だ。
二人の姿を確認した要は、その脚でCT室をいつでも使えるよう準備に走った。